営業部だより
2011年07月29日
浜通り・中通りを訪ねて
3月11日の東日本大震災発生時に偶々東北新幹線に乗車中で、20時間以上に亘り福島駅付近のトンネル内で過ごされたという某出版社のYさんにお声掛けいただき、7月の最初の週末に、福島県内の書店さん数件と被災現場を訪れました。
いわき、須賀川、南相馬、相馬各市内の書店さんにお邪魔したのですが、現下の状況にも関わらず、皆さんが揃ってとても丁寧に対応してくださったことに大変痛み入りました。Yさんにとっては、3月11日以降、4度目となる福島訪問とのことでしたが、彼の「復興から福島が見捨てられ、取り残されている」という強い問題意識を内側に秘めた真摯な態度と繊細な言葉遣いが、書店員の皆さんの心を動かしたのかもしれません。本当に、どなたも震災当日とその後の余震の影響などについて、詳しくお話しして下さいました。
二本松から南相馬へと向かう途中では、日本で唯一の村営書店「ほんの森いいたて」を擁する飯舘村に立ち寄ったのですが、「かくも美しい村が放射性物質に覆われ、村民たちは長年住み慣れた土地からの別離を余儀なくされる」という余りにも異常な光景を眼前にして、関曠野氏の言葉「原発はテクノロジーの名に値しない極端なアクロバット」(図書新聞4月23日号)そのものだと強く実感しました(直前に昼食を摂った、お隣の川俣町の「道の駅」が大変な人出で賑わっていただけに、飯舘村が直面する理不尽な現実が余計に際立ちます)。
他の観光地も、例えば岳温泉(二本松市)などは、実に魅力的なロケーションに思わず興奮してしまったほどですが、相次ぐ宿泊キャンセルに土産物店の方も途方に暮れていました。故無き窮状に置かれながらも優しげな微笑みすら浮かべる彼女のような方が他にも大勢居られるのだと思うと、酷く無力感に苛まれます。放射能汚染の問題が存在する以上、安易に人に薦められない現状が腹立たしくて仕方ないのですが、せめて自分自身は近親者や友人を伴って再訪しようと決めました。
最後に、帰路の車内でYさんが口にされた言葉を記します。「とにかく話を聴きに伺って、こちらが福島のことを気にし続けていることを繰り返し伝えなければ」