編集部だより
2009年10月30日
文科省ウォッチャー、実は文科省に見られていた?
8月末の政権交代選挙から早2カ月、特別国会が始まりました。この間、矢継ぎ早に「国家戦略室」や「行政刷新会議」を創設し、年末までの緊急雇用対策本部に「年越し派遣村」村長の湯浅誠さんを政策参与として迎えるなど、今までの官僚主導の政策のつくり方や政治のあり方を変え、「障害者自立支援法」廃止の明言、生活保護の母子加算復活など、弱者切捨て政策を変えようとする新政権の意向は伝わってきます。『季刊福祉労働』125号(12月25日刊)では、「ソーシャルインクルージョンに向けて新政権への提言」を特集し、社会保障・社会政策関連分野での提言・期待・箴言を研究者・当事者から寄せていただく予定です。
政権が変わっても一番変わりそうもないのが文科省。すでに新政権は、学力テストを悉皆から抽出調査に、教員免許更新制の廃止など、現場の教員たちが指摘してきた課題に応える施策を打ち出し、一方で教員養成を6年制(うち1年は教育実習)になど、教育・養成現場に大きな影響を及ぼす政策も出されています。高校希望者全入・無償化、教育予算の充実がマニュフェストに掲げられ、教育をより公平な社会を創る土台であると捉え、社会サービスとして保障していく方向が伺えます。
そうした制度的な外形は変わっていきそうですが、「教育は国家百年の大計」というように、「人づくり」の中身に関する国家の意図が教育に反映される以上、国家の要を握っているのは文科省だという自負はなかなか変わらないのではないでしょうか。
日本はあの敗戦を経ても、戦争を賛美し教え子を戦場に送った教師がそのまま子どもたちに教科書に墨を塗らせて授業を続け、学習指導要領がいつの間にか「大綱的基準」になり、「修身」に代わる道徳が持ち込まれ、日の丸・君が代が「国旗」「国歌」になり、ついには「国と郷土を愛する……態度を養う」ことを目標とする教育基本法「改正」に行き着きました。教育勅語の「一旦緩急あれば義勇公に奉じ」に見るごとく、自分のためでなく、国家(会社)のためになる有用なる人材育成という教育に対する国家意思は、戦前・戦後を通じて一貫して保たれています。新政権の下でどのような教育理念・教育の目的が打ち立てられ、実現されるかを見るには、今しばらく時間が必要でしょう。
その間にも、文科省は着々と自身の仕事を進めているようです。
戦前と戦後の教育における連続性については、1925年生まれの元軍国少女であり、元教員の北村小夜さんがいろいろなところで話されています。2002年に文科省が編集し全国の小中学校に配られた道徳副教材の『こころのノート』は、戦前の国家主義的な道徳観=修身とそっくりなこと、あるいは戦争遂行に使われた文部省唱歌(「汽車ぽっぽ」「お山の杉の子」「海」「われは海の子」など)が歌詞を変えて音楽の授業で受け継がれているなど、非常に興味深い話が、『修身』教科書や『うたの本』の豊富な資料と共に『戦争は教室から始まる』にまとめられたことは、以前この欄で書かせていただきました。
「今の学校では、すでにこころもからだもお国に捉らえられている」と危機感を募らせていた北村さんですが、『こころのノート』改訂版を入手してびっくりしました。『こころのノート』の「あやまちを[たから]としよう」が『修身』の「アヤマチヲカクスナ」とそっくりの構図だと批判していたのですが、ボールで植木鉢を壊した子どもが大人に諭されている絵から、改訂版では子ども同士がボールで花壇の花をダメにしてしまったことを反省している絵に変わったのです。大人に諭されてでなく、子ども自身が「みんなで」相互に点検し、反省するという構図に変化しています。また、以前は『こころのノート』の冒頭に、「このノートのつかいかた」として「このノートは、あなたの こころを おおきく うつくしくしていく ためのものです……くりかえし ひらいて …おおきく うつくしく してください」と押し付けがましい文章があり、この文章を読んだあるお母さんは「こんなもの読まなくてもあなた(子ども)のこころは十分うつくしい」と憤慨したそうです。北村さんはこのエピソードをいろいろなところで語ったり書いたりしていたのですが、改訂版ではこの押し付けがましい文章がなくなり、チューリップが空に向かって伸びている写真のなかに「うつくしい こころを そだてよう」の一文だけになりました。下からのアングルで撮られたチューリップは確かに美しく、子どもの心がすくすく伸びやかに育っていくような気がして、「〜してください」と書かれるよりずっとスマートな訴えかけです。
北村さんは、私たちがさんざん批判・指摘してきたことに反応して直していることは確かだけれど、より巧妙な心理的なしかけでもって、奉仕のこころ、協調性、自己点検が強調され、それが愛国心に向かうような作り方をされている、と警戒しています。
80歳過ぎてもネットで文科省のホームページにアクセスし、様々なソースから教育情報を入手している北村さんの指摘は、深い洞察力と共にご自身の戦前・戦後を通じた教室における体験に裏打ちされているだけに、体感的に人に伝わる力をもっています。
それにしても文科省ウォッチャー・批判勢力の北村さん(だけではなく『こころのノート』批判を展開した大勢の人)たちの言動には、文科省のアンテナも敏感に反応しているようです。北村さんが編集委員を務めて下さった『季刊福祉労働』は、養護学校義務化反対運動の中で創刊された1978年以降、春号に「養護学校義務化から○年」を特集してきました(義務化十年以降は、「義務化から○年」とは謳っていませんが、教育特集に特化しています)が、春号だけは毎年、文部省特殊教育課からご注文がありました。調査官の方が買っていたようで、日本のお役人は勤勉だと感心したものですが、この勤勉さが教育を受ける当事者のために働くように変わるには、やはり政治主導しかないんでしょうか。(猫)