編集部だより
2010年02月22日
芥川龍之介の顔
冬も過ぎ、暦は早くも三月を迎える。もう三月か、早いものだ…などと極楽トンボを決め込んでカレンダーを眺めていたら唐突にヘンなことを思い出した。3月1日は芥川龍之介の誕生日であった。そう、あの有名な小説家である。
芥川といえば主に大正時代に活躍した短篇小説家であり、日本文学史では超有名作家だが、彼はその作品だけでなく、神経質そうな蒼顔の写真(アゴの下に左手を添えているあの写真ですね)でも有名である。性格は温厚だったそうだが、この写真を見る限りでは顔は怖い。実に怖い。わたしも子供の頃からあの写真は知っていた。「いかにも癇癪持ちの神経過敏オジサンって感じだな」などと当時は思っていたが、今調べて見るとあの写真は1920年頃に撮られた写真だそうだ。俄かに信じ難いことだが、当時はなんと28歳という若さだ。オジサンなんてとんでもない、まだ十分に青年の年齢だ。にもかかわらず、この怖さは何事だろうか。いくら知識人で芸術家といえども、人間というものは28歳の若さでこんなにも気難しい顔ができるものなのだろうか? 芥川は35歳で自殺しているので、彼の人生に晩年というものはなかったのだが、この写真を見ていると彼に向かって80歳、90歳まで長生きしろというのは酷なのかも知れない、とも思う。自殺というのはあまりにも残念な最期だが、本人としては精一杯の35年だったのかも知れない。
さて、最近は昔の小説が静かなブームだそうで、小林多喜二や太宰治などが結構、若い世代に読まれているというが、個人的には実は芥川龍之介こそがもっとも現代的な作家ではないかと思っている。芥川の生きた時代は日本社会が大きく苦しんでいた時代であった。関東大震災があり、軍部の台頭が徐々に静かに社会に浸透し、昭和恐慌に向け経済も苦しくなっていく頃であった。芥川は時代の中に何を見て、どんな不安を感じていたのだろうか。「ぼんやりした不安」という有名な言葉はあまりに断片的でその真意はつかみ取れないが、その後、日本社会は不安に満ちた時代に突入していった。芥川の大親友に恒藤恭という法学者・京大教授がいるが、芥川が死んで6年後、恒藤は瀧川事件の際、抗議のため京大を辞職している。日本が自由を失い、不安が現実に変わっていく時代はもう始まっていたのである。芥川にはこの時代がもう見えていたのだろうか?
小社刊『芥川龍之介』(フォービギナーズ・シリーズ 文・吉田和明/絵・田島董美)は、独自の視点で芥川の実像に迫っている。この本では芥川は単なる純粋な文学者とは描かれていない。卓越さも凡庸さも兼ね備え、聡明であると同時に魯鈍でもあった生身の人間である。そして、その意味では時代の被害者でもあり、加害者でもあったようだ。 日本で最も有名な作家について、あれこれ考えながら三月を迎える。もし今、芥川が生きていたら彼はどんな小説を書いているだろうか? そして芥川賞を取れたであろうか?