編集部だより
2010年06月10日
フロッピーディスクの使い方について羊はいかに判断するべきか? そして、りんごとト
フロッピーディスクの使い方について羊はいかに判断するべきか?
そして、りんごとトマス・モアの関係からモスクワについて考える。
もし今、こんなことを聞かれたら、あなたならどう答えますか?
「フロッピーディスクについて積極的、かつ創造的な使い道を見出しなさい」
何だ、そりゃ? 特別に凝った新しい知能テストだろうか?「フロッピーディスク」という言葉自体久しぶりに聞いた。この前いつ使ったか思い出せないくらいだ……。
では、もう一つ考えてみましょう。「とても大切な情報をカセットテープや、VHSビデオテープや、ましてやベータ方式ビデオテープに新たに記録しようと思う人は今たくさんいるだろうか?」 さらに別の問題。「もし、あなたがこれからデビューするミュージシャンだとしたら、『自分の曲を是非、昔懐かしの黒いポリ塩化ビニール製のレコードで販売してほしい』と希望しますか?」
これらの問いを愚問として冷笑する気持ちは分かります。
確かにこれらはあり得ない話です。しかし、わざと極端な事例を出してヘンに耳目を集めよう等と思っているのではありません。新しい技術や製品に魅力を感じることは自然なことだし、時代後れになったものにいつまでも愛着をもっている人はどんな分野においても少数派なのは知っています。回顧趣味的に過去の遺物に熱中するのは骨董品蒐集の趣味としては分かりますが、実用品としてそれを買う人はまずいないと思うほうが普通でしょう。
もう何を言いたいのか、お察しのことと思います。そう、電子ブックリーダーのことです。人に聞くところによれば何でも今年は「電子書籍元年」だそうで、iPad やキンドルなどが日本でもどんどん普及していくそうです。iPad はすでに利用している人は多いし、キンドルだって本格的に日本国内での販売が開始されれば、購入する人はたくさんいるに違いない。「紙の本? ああ、昔の人はそんなものを眺めていたそうだね。紙の本ならフロッピーディスクとか、VHSビデオテープと一緒にお爺ちゃんの家にあったのを子どもの頃、見た記憶があるぁ。でもボクはそんなものには触ったことはないな。なぜって、『古文書』には興味はないからさ」と20年後の人びとは言うのだそうです。電子ブックリーダーの利便性・快適性は、その微小な欠点を無意味化するほど素晴らしく、もはや人類は紙を大量に消費する読書スタイルを博物館送りとし、世界中の経営者を黙らせる「闘将スティーブ」の軍門に下るという未来が来るのだそうです。
電子ブックリーダーが便利ならば、それは当然の流れでしょう。
しかし、本を読む人がこぞってりんご印のタブレット型コンピュータを持つようになるかは、まだ見晴らしは不透明です。倹約家で有名な「アメリカ実業界の上杉鷹山」ことジェフ・ベゾス氏率いるアマゾン軍団もオンライン書店での成功を基にさらなる攻勢をかけてくるでしょう。母国日本で一矢を報いんとソニーブックリーダーも、虎視眈々と失地回復運動を始めています。その他にも下克上を狙う少数勢力は数多あり、電子ブックリーダーの世界はまだ混沌としています。もしかしたら、「iPad一人勝ち」という判断は早計で、読書界の群雄割拠時代の本格的な始まりはこれからなのかも知れません。もし今が戦国時代なら、どんな構図が見えてくるのでしょうか? 前例なき斬新な戦略で同時代人の常識(良識?)を踏み越えながら破壊的創造を展開するiPadが織田信長だとしたら、キンドルは疾風怒濤のスピード攻撃(オンラインショッピング)が得意な武田騎馬軍団。旧家・名門として誉れが高いものの、勢力図の変化で今や一地方勢力に押し込まれてしまったソニーブックリーダーが北条家に当たるのでしょうか?
いや、いかん。「歴女」ならぬ「歴オジサン」ぶりを発揮して妄想を爆発させている場合ではありません。問題は「読者の幸福」です。とても強い武将の下に暮らす領民は、安定した勢力下にいるが故に安心でしょう。生活も便利になるだろうし、新しい品々も次々に手に入る。安心と便利は幸せを連れて来る(筈です)。「あの殿サマの領地に住んでおれば、わし等も安心じゃ」という領民がいても不思議ではありません。しかし、栄枯盛衰は戦国のならわし。もし新たな勢力が台頭してきたら、その暮らしはどうなるでしょう。あるいは、対抗勢力がなかったら安心ですか? いやいや、安定がもたらす無風状態の中、退屈した「乱世の雄」が「殿ご乱心」に転化したら?
話を現代に戻して、仮に今ここにA社という電子書籍販売会社があるとしましょう(アップル社のAではありません。念のため)。A社は先進的な機器を創るのが得意で、一時は不遇の時代があったが、昔の経営者が現場に返り咲き、すっかり復調。今や向かうところ敵無し。目障りな窓(ウインドウズ)など叩き割って前進を続けている、とします。A社はハードの開発だけでなく流通も整備し、「りんごストア」とか「愛チューンズ」(仮称)とかいう販売網も完備したと仮定しましょう。これは便利ですね。確かに。一つのハードに、一つの本屋さん。これでみんな済んでしまうのですから、話が早い。今までみたいにあちこちの本屋さんをハシゴして一冊の本を探すなんて時間の浪費はなくなるのですから。A社は外国の企業なのですが、日本人にも親切です。まるで当たりの柔らかい(ソフト)銀行(バンク)のように丁寧な仲介者がいて私たちをクールな消費スタイルに導いてくれます。月々わずか(?)な支払いで時代の先端を満喫できます。
でも歴オジサンのわたしなぞは、すっかり時代後れの中古脳みそで、またつい妄想を始めてしまいます。これって高校生のときに世界史の教科書で読んだ状況にそっくりではないか……。そう、16世紀のイギリスで行われた「囲い込み」に何だか似てる気がします。ただ一つのハードを使い、一つのオンライン書店だけを利用することを強いられてしまう状況は、自由な市場活動を失った囲い込みの中に閉じ込められた気分です。え? エンクロージャーは巷で言われるほどには農民を苦しめたりしなかったというのが最近の学説なんですか? いえ、そうじゃなくって、この場合、わたしたちはイギリスの農民ではなく、16世紀の羊です。有力者主導によって草を食む場所を限定される状態です。羊毛を得るための囲い込みですから、いい草(魅力的な商品)は豊富に与えられますが、ご機嫌で草を食べている合間にふと頭を上げると、今まで自由に行き来していた草原に囲いが立てられていて、草を食べる場所が限定されている。自由に移動することを欲する生き物にとって、それは幸せなことなのでしょうか? 当面の美味しい草があれば問題ないでしょうか? それとも「自分の草は自分で見つける。いい草原を見つける過程こそが人生(羊生)だ!」と主張するべきでしょうか? それはそれぞれの判断ですが……。
トマス・モアは、「羊はおとなしい動物ではあるが、英国においては人を食べる」という表現で囲い込みを批判したそうですが、現代においては「りんごは滋味溢れる果実だが、現代においては多くの市場を飲み込む」とでも言うべきなのでしょうか。ちょっと分かりにくい表現で時代を批判したトマス・モアは、その勇気が災いして刑死になっています。平和と正義を求め、同時代の改革者ルターにも反対したモアを処刑してしまうとは当時の英国も実に残念な過ちを犯したものです。
最後に少しだけ宣伝をします。小社刊『モスクワの孤独─「雪どけ」からプーチン時代のインテリゲンツィア』(米田綱路著)が、ご好評を博しております。ひたすらに自分の良心に誠実に生き、そのためにさまざまな苦難の人生を歩んだ旧ソ連・ロシアの人びとを描いた本です。16世紀、英国ではトマス・モアが処刑されてしまいましたが、少数派の偉大な人間ドラマは現代まで息絶えることなく命脈をつなぎ、自由を求める足跡は続きました。本書は紙の本です。iPadみたいに画面をタップしたり、ピンチしたり、フリックしたりするクールな操作は不要です。ただ本を構成する紙をめくっていくだけの古典派読書スタイルになります。600頁を超える本なので厚みもあるので、持ち運ぶのは大変かも知れません。でも、この厚みの中にある人間ドラマは、情熱的に生きることの素晴らしさを伝えてくれます。本の厚みが掌を満たし、その存在感は読了後も私たちに「彼らの生きざまを忘れないで」と呼びかけてきます。そう、紙の本もやっぱりいいものです。電子ブックリーダーでも、紙の本でも、その内容こそが真の価値です。本を読む方法が変わっても、読書の意義には変わりはありません。真剣に本と向き合い、テキストを読み込むことです。
この本の帯には「誠実に生きることが、まだ胸を打つうちに」という言葉が書かれています。ソ連・ロシアに生きた勇気ある少数派に贈られた言葉です。電子ブックリーダーの利便性はとても魅力的ですが、読書が便利になる時代だからこそ、一冊の書物に真剣に取り組むことを思い起こしたいと望みます。
そんな時代だからこそ、『モスクワの孤独』を是非お奨めしたいと思います。どうか是非一度、ご覧ください。