編集部だより
2010年06月30日
まず「関係」があって
篠原睦治氏(和光大学名誉教授)の和光大学での36年間が詰まった新刊『関係の原像を描く』が5月の初旬に完成しました。本書は埼玉県和光市ではなく東京都町田市(と言いつつ大半は川崎市)にある「和光大学」という小さな大学の「とある一面」の歴史が綴られています。ついでに私の母校であります。何ともローカルな内輪話のようですが、篠原氏も和光大学もまったくご存じない方にこそ読んでいただきたい1冊なのです。
本書には、「みんなで共に生きていくこと」とは一体どんなことなのか? 何のために? どうやって? という無謀な問いに取り組み続けたしぶとく・しつこい教員の36年間が、それぞれの時代にかかわった17人の「障害」元学生たちとの対話によって綴られています。
和光大学の特徴のひとつに「障害」学生が多いというのがあります。今でこそ多くの大学で共に学ぶ環境が整えられていますが、70年代には「障害者」を受け入れる大学は大変少なく、国立に先駆け和光は「受け入れる大学」として知られていました。当初は国立大学のごく一部が、「障害者を受け入れている大学」ということで見学にきていたほどでした。
そんなに早くからバリアフリーな大学であったのか? いえ、そうではありません。初代学長の梅根悟氏は「何もできないけれど、よかったら、どうぞ」と発言したといいます(本書p17)。受験すらさせない大学ばかりであった当時、「障害者」に“閉じない”姿勢を表明しました。しかし「何もできない」と言ったとおり情報保障や施設・設備などの整備はなく、入学した「障害」学生たちは、自分たちの手で、考えで、環境を一から模索してつくっていったのです。
では、「障害」学生たちが長い年月をかけて試行錯誤つくり上げた環境は、はたして「バリアフリー」なものだったでしょうか。
私が在学していた’99〜’03年、車椅子の学生は人力によって持ち上げて階段を上り下りすることが当たり前でした。車椅子学生が入学したのは’76年です(p23〜<対話2>)。その後何人もの車椅子学生が入学し大学生活を送ってきたのですが、スロープ・エレベータ施設はごく僅かで、しかもあまり活躍しているようにも見えません。車椅子移動のためのEV棟ができたのは私が卒業した後で、はじめて見たときには「なんで和光にEV棟なんか……」と驚いたものです。和光では、数十年の歩みのなかでバリアフリーに対する独特のこだわりが形成され、「バリアフリーに躊躇する・慎重である」姿勢が大学の特徴になっていたのです。
本書<対話2>の車椅子元学生2人との対話では、70年代後半の車椅子の学生たちが訴えた「スロープ反対!」のエピソードが掲載されています。ここで篠原氏は「…スロープを作ろうとしたんだけど、君たちはこのことに対してストップを掛けた。ぼくには、スロープを作ることはよいことだと思っていたから、衝撃的だったなぁ」と発言しています。それに対し対話者の車椅子元学生は「スロープの持つ恐ろしさを体験していたからね」と答えています。車椅子の移動にスロープは必備のはずです。しかし車椅子学生たちはそのスロープに「いよいよ分断がはじまっちゃうんじゃないかという不安感」を持ち、反対を表明したのです。彼らの言う「恐ろしさ」「分断」「不安感」とはいったい何でしょうか。
最近は街中で当たり前のように車椅子を見ます。障害者だけでなく、高齢者や赤ちゃんの乳母車も。素晴らしいことです。しかし、1人で好きなように行き来できる自由が「分離・排斥」を含んでいるのだとしたら、共に生きるあり方にそれこそ「バリア」をつくるものであるとしたら、「まぁでも仕方ないじゃん、前よかよくなったじゃん」で済ましてしまうのは寂しいことです。99人が喜ぶ設備で1人が悲しんでいるとしたら、やはりその設備の不足を問い続けなければなりません。しかし「大多数の利」を問うその主張は、大抵顰蹙をかったり黙殺されたりしてしまいます。
私が在学中、著者である篠原氏にこんな感じの質問をしたことがあります。「強固に自説を述べるわりに、実際の行動と矛盾することがあると思うのですけど、説を曲げたり現実と摺り合せたりしないのですか?」と。今思うと不躾ですね。そんな厚顔な学生に篠原さんはこんな感じのことを答えてくださいました。「実現可能なことを言ったってしょうがない。そんなのわざわざ言うほどのことじゃない。自分に理想や価値ある方向があるならば、たとえ現実的じゃなくても実行できなくても矛盾していても、いつでもそっちへ顔を向けていたい。だから言うのだ」と。私の記憶機能は芳しくないのですが、だいたいこんな内容だったと思います。ご本人は覚えていらっしゃらないかもしれませんが、当時「素敵な開き直りだ!」と感激した覚えがあります。
現実や実行が追いつかない理想に対し顔を向け続けることが、どれだけ辛く厳しいことでしょうか。何十年も貫き通す姿勢にしてはあまりに厳しいと思わざるを得ません。それほどしぶとく・しつこくこだわり続けた事柄が、本書をとおして見えてくるはずです。
あなたの知らなかったこだわりが、必ず見つかります。新しい「大切なもの」をこの本から汲み取っていただけたら、こんなに嬉しいことはありません。()