第二次世界大戦中に生きていた人は、少数派になっています。わたくし筆者も戦後の生まれです。それでも日本人の多くは「玉砕」という言葉を知っています。いろいろなテレビや本などの戦記物でよく触れる言葉であり、日本軍の悲惨な戦況を伝える痛切な言葉だからです。「アッツ島玉砕」という言葉を聞けば、アッツ島の日本軍守備隊が全滅したということがすぐに理解できます。
「玉砕」という言葉は中国から伝わった言葉で、7世紀、唐時代の文献で確認できる言葉だそうです。主君や忠義のために玉(宝石)が美しく砕けるように、潔く大義に殉ずることを指すのだそうです。第二次世界大戦中の日本軍が各戦線において全滅する際に、この中国の古の言葉が想起されたのでしょうか。
この「玉砕」という言葉には対義語があります。「瓦全」(がぜん)という言葉で、広辞苑には「何もしないでいたずらに身の安全を保つこと」という説明があります。ここでいう「瓦」とはつまらないものの象徴として使われています。ずいぶんな言われようで、これでは瓦の立場もないでしょうが、宝石に比べれば安価なものであることは確かです。
「丈夫(じょうふ=信念と勇気を持つ立派な男性)は玉砕するも瓦全を恥ず」と言われると、信念も勇気もない筆者などは恐縮してしまいますが、これを戦争中に言われたら恐縮どころでは済まなくなります。いったん戦地に向かえば「生き恥」をさらすことなどできなくなります。「散華」「潔く自決する」「生きて虜囚の辱を受けず」と立て続けに言われると生き延びることが申し訳ないという気持ちにもなるでしょう。
しかしいま、この国で必要なのは「瓦全の思想」ではないでしょうか。
最近小社で
『沖縄・戦後子ども生活史』(沖縄大学学長・野本三吉氏著)という書籍を出版致しました。戦中・戦後にかけ沖縄では地域社会のつながりが強く、支え合い助け合う精神が根強く残っていました。しかし、戦争で多大な被害を受けた沖縄で希望を創り続けた子どもたちはいま、新たな困難に直面しています。その中で野本氏は沖縄の子どもの歴史をまとめ、ひたむきに生きる子どもたちにエールを送っています。戦争中、沖縄では膨大な数の非戦闘員が犠牲になり、玉砕も散華も当然のように強制され、子どもにも多くの死者を出しました。生き延びた子どもの多くは親兄弟を失っていました。そんなあまりにも過酷な現実の中で子どもたちが懸命に生き抜いてきた事実こそ、わたしたちは歴史の教訓として学ぶべきではないでしょうか。英雄的に戦う「玉」であることから遠く離れ、非戦を求め、人間の暮らしを雨風から守る優しい瓦として生きることも、とても尊いということを子どもたちの歴史は教えてくれます。
日本では最近12年間連続で年間自殺者が3万人を超えています。去年2009年の自殺者は3万2845人で、毎日90人弱の人間が自殺していることになります。実際にはもっと多いのかも知れません。こんな時代だからこそ、沖縄の子どもの歴史に、日本人が参考にするべき生き方が隠されていると思います。夏の日照りにも激しい台風にも耐え抜く瓦のように、逞しく生きることの価値を静かに教えてくれる本です。是非、ご一読ください。