編集部だより
2010年10月16日
「命のリレー」とは
秋晴れの気持ちいい日曜日、展覧会に行こうと上野公園を歩いていると、大勢の人通りのなか、幟旗を立ててポケットティッシュを配っている一団が目に入った。場所柄、飲み屋の宣伝ではなさそうだし、何だろうと思っているうちに、「臓器移植普及推進キャンペーン」の文字が見えてきた。ティッシュをもらいつつ、とても複雑な気持ちになった。
自分や自分の家族、近しい人が重篤な病気で臓器移植しか助かる方法がない、と言われたらどうするか。少なくとも1997年に臓器移植法ができるまで、私にとっては他人事だった。ところが、本人が「脳死」での臓器提供意思を書面で表し、家族が拒否しない場合に限り「脳死」を人の死とし、臓器摘出しても(心臓死させても)医師が罪に問われない法律ができてしまった。有体に言えば、レシピエント(臓器をもらう側)が助かるには、ドナー(臓器を提供する側)に臓器がダメージを受ける前に亡くなってもらわなければならないということだが、移植を推進したい人たちは臓器の取り替えを「命のリレー」と言う。
「脳死・臓器移植」が日本でも解禁されたが、医学的に「脳死とは脳機能の不可逆的な停止」と規定されていながら、実は「脳死」と判定された後「生き返」った人、「脳死」とされながら数年間、人工呼吸器を付けたまま生き続け、成長する子どもたちがいること、「死体」であるはずの「脳死」ドナーから臓器摘出手術をするとき、痛みに反応して血圧が上昇するのを抑えるために麻酔を使っていることなどは、移植推進派はおろか、マスコミもなかなか伝えない。本や集会で話を聞き、こうした事実を知るにつけ、「脳死」概念そのものへの疑問がふくらんできた。〔臓器移植法成立前から、『脳死』に関しては立花隆さん以下多くの本が出ているが、最近の反対の立場から書かれたものでは、小松美彦さん著『脳死・臓器移植の本当の話』(PHP新書)に詳しい。〕
そもそも、「脳死」でドナー候補になる患者は、交通事故など不慮の事故か脳血管障害で突然、脳に壊滅的損傷を受け、かつ内臓は健康な人である。ドナーカードを持っていたが故に、脳死判定後、臓器提供するかしないかの判断を迫られて、混乱の中の家族は冷静に「脳死」とは何かを理解し、心穏やかに臓器提供に気持ちが切り替えられるものだろうか。
社会問題化している救急車で何件もたらい回しされる貧弱な救命救急医療体制に比べ、移植用臓器運搬のためにはヘリコプターまで飛ばすその格差や、救命のための処置と臓器を新鮮に保つための処置が真逆であることなど、救命救急医療と臓器移植との間に横たわる溝の深さを思うと、レシピエントとしてであれ、ドナーとしてであれ、その深淵に立たされる立場にはなりたくない、というのが今の気持ちだ。
それでも、旧臓器移植法では「脳死・臓器移植」は進まなかった。ドナーカードの記載ミスなどもあったが、どんなに移植を推進したい人たちがキャンペーンをはろうと、積極的にドナーカードを持とうという人は増えなかったのだ。一方で、本人意思を大前提としたため15歳以下の子どもは対象にされず、心臓移植のために多額の費用をかけて海外渡航する親子のために、募金キャンペーンがマスコミで報道されたりした。
圧倒的なドナー不足を解消するためには、本人意思の尊重と年齢制限の規制を取っ払うしかない。そこで2009年7月、衆議院解散のドサクサのなか、改定臓器移植法が成立し、家族の意思だけで、15歳以下の子どもを含めて臓器提供できる道を拓いてしまった。
目論見どおりというか案の定、97年10月の旧法施行以降2010年7月の改定法施行まで13年間で98件しかなかった臓器提供が、7月以降9月までの3カ月で14件に跳ね上がった。このペースで行けば、1年間に軽く50件以上になる。ちなみに移植希望登録者数は、心臓171人、肺141人、肝臓11708人、脾臓179人であるから、1人のドナーからすべての臓器が移植可能でかつレシピエントに適合すると仮定すれば、心臓・肺に限れば3年ほどですべての人が「助かる」計算になる(以上、数値は日本臓器移植ネットワークの「移植に関するデータ」より)。
実際には、すべての摘出臓器が移植可能とはなりえないし、適合条件も厳しいので、単純な割り算どおりにはいかないのは言うまでもない。また、3年も待てない登録者は多いだろう。一方で、移植が普及するにつれ、臓器の機能不全をかかえながら今まで移植を希望してなかった人も、「移植さえすれば助かるのに」「健康な生活が送れるのに」という声に押されて、移植に希望を託するようになると、移植希望者の数が増える可能性がある。移植先進国アメリカでは、医療保険がなく州立病院に担ぎ込まれて脳死状態になった患者は、治療費の関係でいとも簡単に臓器摘出されてしまうが、それでも移植希望者が多すぎてドナー不足は深刻な状態である。日本でも、移植数が増えても依然ドナー不足が続くという状況は変わらないかもしれない。
臓器提供へのハードルを下げ、移植を増やそうとしたこの法改定が私たちの社会、家族のありよう、医療現場にどのような変化をもたらすのか。『季刊福祉労働』では、様々な立ち場から問題提起していただき、広く議論していただきたいと考え、リレー連載「臓器移植法改定が拓く世界」を125号から開始しました。「脳死状態」といわれ、意識不明のまま在宅で暮らす子の親の立場から(第1回)、医療全体の中から臓器移植をどうとらえるか(第2回)、臓器移植の歴史からドナー増加を期待する改定臓器移植法の矛盾について(第3回)、小児脳神経科医の立場から(第4回)と連載してきました。最終回(129号、12月刊)では、「死んでも、体の一部が誰かの役に立って生きていてくれたらうれしい」という家族意思による臓器提供が増えたことの意味を、医療社会学から読み解いていただく予定です。本来なら、マスコミにこそこうした多方面からの検証を期待したいところです。
ところで、移植を推進する人たちの「善意」に複雑な思いにかられていたとき、偶然ネットで次の新聞記事に出会いました。
題名を『命(いのち)屋(や)』という。〈「命屋」さんがあればいいね/でも/命を買い替えられたら/みんな一生けん命/生きないかもね/そしたら/つまらない人生になるね〉◆かつて本紙の『こどもの詩』欄に載った一編で、作者は小学3年生の男児である。「人生」や「命」といった大人でもときに持て余す重たいテーマに、こういう洞察のできる年ごろである。その記事を読み返しながら、ため息をひとつ、ついてみる。(中略)◆本紙掲載の詩を、もう一つ引く。題は『右側が見えづらい弟』、障害をもつ弟のことを書いている。その一節。〈だから私はいつも弟の右側にいる〉。こちらは小学4年生の女児である◆子供をなめてはいけない。(2010年9月16日01時24分 読売新聞「編集手帳」より。)
命を買い替える、取り替えることができる時代からこそ、誰もがたった一つの命を全うすることを大切にしたいと改めて思いました。(猫)