編集部だより
2011年12月28日
障害者の「綴る文化・新旧対決」花田春兆さんVS大野更紗さん
障害者週間(12月3〜9日)のイベント「障害者週間連続セミナー」(於:明治学院大学)の一つ、花田春兆さん(俳人、日本障害者協議会顧問)と今年大ヒットした『困ってる人』(ポプラ社)の著者・大野更紗さんとの対談に行ってきました。
大野さんは「今年の人」として様々なところでインタビューされていますし、ご自身が日々ツイッターで発信されていますので、今更のご紹介は省きます。
春兆さん(著者に対してなんと慣れ慣れしい呼び方! と目くじら立てないでください。春兆さんを知っている方は皆、親しみを込めてこうお呼びしていますので、ここでもそうさせていただきます)は、1981年の国際障害者年を機に設立された「国際障害者年日本推進協議会」(現・日本障害者協議会=JD)副代表という障害当事者運動リーダーとしての顔と、中村草田男門下の俳人、障害文芸誌『しののめ』主宰者としての文芸活動(綴る文化)の実践者、日本の障害者文化の研究者としての顔をおもちです。小社からは『支援費風雲録――ストップ・ザ・介護保険統合』『1981年の黒船――JDと障害者運動の四半世紀』と障害者運動関連の本を出されていますが、句集や『天上の杖――明石検校の生涯』(こずえ)『日本の障害者――その文化史的側面』(中央法規出版)という障害文化に関するものもたくさん出されています。
それよりなにより、春兆さんは1925年生まれの86歳。当時「脳性マヒの寿命は長くて40歳」と言われていたその2倍以上をお元気に(脳梗塞をされて一段と言語障害は強くなりましたが)、朗らかに生きておいでです。まさに「86歳、脳性マヒの最長老」VS「27歳、新参難病女子」の新旧・綴る当事者対決。
しかし、春兆さんの講演(学生が原稿代読)の後始まったトークで、感染症予防のマスク越しに次々とくり出される大野さんの問いかけに答えたのは、春兆さんの名代を仰せつかった日本近代文学研究者の荒井裕樹さん。
荒井さんは今春『障害と文学――「しののめ」から「青い芝の会」へ』を小社から出されました。日本で最も古い肢体不自由養護学校・光明養護学校卒業生の活動から始まった障害文芸誌『しののめ』の主宰者である春兆さんと、70年、80年代を通して鮮烈な健常者文明批判を展開した脳性マヒ者の団体「青い芝の会」の有名な綱領を起草した横田弘さん(詩人、77歳)を中心に、戦後日本の障害者たちが展開してきた文学活動についての歴史を掘り起こし、そこに蓄積されてきた作品の可能性を再検討するという「障害」と「文学」を横断する研究(博士論文)を単行本化したものです
この研究のために、春兆さんの電動車いすの後をついて回り、『しののめ』バックナンバーを総ざらいしてきた荒井さんに、春兆さんは「お前が代わりにしゃべれ」と全幅の信頼を置いて任せたようです。というか、春兆さんはとにかく人を巻き込み使うのがお上手。だって、そうでもしなければ特養ホームに暮らしながら、介護保険のサービスだけで、これだけ色々な活動はできるわけありません。
「新旧・綴る当事者対決」に介錯役で投入された、紙に綴られたテキストをひたすら読み込む若き文学研究者。3者の不思議なトークを聴きながら、大野さんの本のタイトル「困っているひと」をかみしめていました。そう、障害者運動の道は、健常者用につくられたハード・制度の不備ゆえに、一般社会から排除され、地域でふつうに学んだり、働いたり、暮らすことに特別な困難をしいられた「困っている人」たちが、一つひとつ必要な制度やサービスを行政につくらせてきた歴史でもあります。
その先達の軌跡は、膨大かつ急速に失われつつある(持っている本人・団体がいなくなったらそれでおしまい)ビラや行政交渉・集会の資料、機関紙誌、同人誌、活字になっていない人の記憶そのものであり、誰もがアクセスできる本の形にまとまっているものはほんのごくわずかです。書籍・雑誌や運動の記録のテキスト収集を始めている大学の研究機関(アーカイブ)もありますが、どちらにしても一機関でできる範囲は超えているように思います。
『障害と文学』の中で荒井さんが、欧米のセルフヘルプグループはユダヤ・キリスト教の「告白」の文化に起源をもち、「語り合う・交わり」を主に活動してきたのに対し、日本のそれは伝統的「身辺雑記」の文化に起源をもち、「生活綴り方運動」に見られるように「綴る・交わり」であったという岡知史氏の研究を紹介されています。今のような介助制度もなく、家族に生活の面倒を見てもらいながら孤立した生活を送っていた在宅障害者の唯一の外界とのつながりとなった障害文芸誌『しののめ』や、言語障害ゆえに、アジテーションや激論で自分たちの主張を浸透させていく手段がとれなかった脳性マヒ者集団「青い芝の会」が、日本の障害者運動における「綴る文化」の主流であったのは必然でした。今は紙媒体ばかりでなく、電脳空間で膨大な量のブログ・ツイッターが綴られています。
学生時代(青い芝の会が全障連を脱退した直後の最も困難な時期)にボランティアで横田さんの介助にはいり、行政交渉の要望書案や雑誌原稿、詩作の口述筆記をさせていただきました。卒後、偶然出版社に入り、当事者運動の記録を本にまとめることを意識して仕事にしてきた私としては、障害学の講座をもついくつかの研究機関と当事者団体、各地の障害者福祉会館などが協力して、障害者運動アーカイブを設立できないものかと妄想していますが、これは春兆さん・横田さんはじめ、綴る文化の当事者たち、そしてその深い森に分け入る研究者の願いでもあると勝手に思っております。(猫)