編集部だより
2012年03月13日
ホントは怖い、日本を滅ぼす性別役割分業
新規学卒者の就職難が言われて久しいですが、私が大学を卒業したのは男女雇用均等法(1985年)以前、新規求人倍率0.9(今と同じ)の時代。4大卒女子、1浪、自宅外のトリプルハンディの身には端から民間企業からお呼びが来ないことはわかりきっていましたし、専門職でもないかぎり、女子は結婚までの「腰掛け」扱いでした。もともと教員志望なので「就活」もせず、リクルートスーツを用意することもなく卒業しました。
一旦田舎に戻って3年後に何の因果か現代書館に入り、すぐに担当した本が『ワーキングマザーになる本――均等法時代のマタニティガイド』でした。今では時代錯誤のような響きの「雇用均等法」ですが、バブルが始まったこの当時、キャリアも家庭生活も自分の趣味もぜーんぶ自己実現してしまうウルトラ・バリバリ・キャリアウーマン像がテレビドラマでもてはやされたものです。
以来四半世紀、大学進学率の男女差は縮小し、大卒者の就職率は男女とも91%と、女性も男性と同じように働くというのが当たり前の感覚になってきています。
なのに、民間でも公的セクターでも女性には「ガラスの天井」が厳然として存在し、重要なポストはほぼ男性が占めています。正規社員の男女給料格差は未だに大きく、女性は男性の7割(1987年当時は6割)。これは女性が「腰掛け」だからではなく、勤続年数が伸びても格差は同様です。
また、バブル崩壊以降、終身雇用の日本型経営は大きく変わり、一部の基幹正社員以外の非正規化を拡大してきた結果、リーマンショックにより非正規労働者の解雇・失業問題が「派遣村」で一躍クローズアップされましたが、実はそれ以前からずーーっと、女性の多く(53%)は派遣・パート・アルバイトの低賃金不安定雇用で働いていたのです。ただ、「派遣村」の男性たちと違って、女性の多くは主婦パートだったり親元から通う単身女性で、貧困層と捉えられていなかっただけなのです。
親の年金、ダンナの稼ぎが当てにできた四半世紀前ならまだしも、2000年代の若者は、親の年金も当てにできず、ダンナの稼ぎだけで暮らせる余裕などない人のほうが多いのではないでしょうか。
一方家庭では、未だに家事・育児・介護はほとんど女性が担っています。これは専業主婦世帯でなく、男女とも正規職の共働き世帯でも同様で、女性が男性の6倍もの時間を家事労働に費やしているのです。「イクメン」や「男厨」の言葉は流行っても、いやそれがモード・ファッションになるほどに、男性の家事・育児は未だに当たり前の日常ではないようです。
バブル期をはさんで2000年以降、正規労働中心から非正規化へと雇用環境が変化し、家族形態も家父長制大家族から核家族、単身家族へと大きく変わってきました。にもかかわらず、なぜ相も変わらず「男は外で稼ぎ、女は家を守る」男女性別役割分業はなくならないのか、不思議でなりません。
こうした疑問に答え、ワーク・ライフ・バランスのとれたジェンダー公正な社会づくりを提言しているのが、福岡女性学研究会編の
『性別役割分業は暴力である』です(ちなみに上記で挙げた数字は本書より)。編者は「福岡・女性と職業研究会」の名称で、1982年に弊社から『家事・育児を分担する男たち』を出版しており、当時の問題意識を2010年代に再び世に問うたわけです。
著者たちはみな福岡在住の、40代から定年退職したシニア世代の大学研究者や働く女性たち。「103万円の壁」「130万円の壁」と言われる税や年金の社会保障制度が、被扶養者である妻が低収入のママのほうがお得なように誘導しており、それが女性の低賃金補助労働を蔓延させていること。未だに夫婦別姓すら実現できないことにみられるように、根強く残る家父長制(家)意識が男女共に性別役割分業意識を下支えしていることを、統計や諸外国の事例を参照しながら明らかにしていきます。
そして、同時期に出された
『ベーシックインカムとジェンダー――生きづらさからの解放に向けて』(堅田香緒里・白崎朝子・野村史子・屋嘉比ふみ子編著)では、非婚のシングルマザー、主婦、働く単身女性、女子学生、セクシュアルマイノリティ、引きこもり等、性別役割分業と家父長制がはびこる日本社会で、家族単位の社会保障制度や戸籍制度から外れ、生きづらさと貧困を抱える当事者たちが、ベーシックインカムという無差別・個人単位の所得保障政策の視点から問題提起をしています。
性別役割分業は、少子化にも影響しています。女性が働き続けられる施策を整えたEU圏では、(EU雇用差別禁止法や手厚い子育て支援策)出生率が上がっているというのに、日本では1989年の合計特殊出生率1.57ショック以来、度重なる「エンゼルプラン」にもかかわらず、2005年には1.26まで下がりました。今は少し回復しましたが、急激な少子高齢化にはなかなか歯止めがかかりません。予算に余裕のあったバブル期に手を打たなかったつけが、一世代分の遅れにつながっているのです。
個人の子産み・子育てが国策になるとき、どうしても戦前の「産めよ増やせよ」、戦後の優生政策が思い出され、「国力が低下する」などという話には警戒したくなります。しかし、ここまで社会のあり方が変わってきているのに、性別役割分業をそのままにした子育て支援政策のミスマッチは、子どもを育てながら働きたい個々人にとっては大いなる不幸です。
例えば、専業主婦の存在を前提とした幼稚園と親が働いていて「保育に欠ける」とされた子どもが預けられる保育園とに就学前の子どもを分ける今の幼保二元システムは、膨大な保育園待機児童がいる一方で、空きが目立つ地方の幼稚園では預かり保育を無認可で行ったりしているわけで、今の社会状況に対応できていないだけでなく、子どもを預けて働きたいという潜在的な女性の労働力を家庭に押し込めているといえます。
子育てか仕事か二者択一を迫るのではなく、ワーク・ライフ・バランスのとれた、子育てと仕事の両立ができる新しい保育制度と子育て支援策、すべての子どもにとって健全な育成環境を整備・保障することを謳った「子ども・子育て支援システム」が1月末にとりまとめられました。
『季刊福祉労働』134号では、「子ども・子育て新システムで障害児の保育・療育はどうなる」という特集を組み、就学前の障害児にとって新システムがどのように機能するのかを、検討委員会の委員、保育所、療育施設、親、子育て支援のNPO、自治体の立場から検証しています。障害のある子どもから見ると、そもそも「すべての子ども」の中に障害児が入っているのかという疑問に始まり、いろいろ懸念があるのは確かで、本特集ではいろいろな課題が上がっています。
それでも今の保育・子育てシステムがこの間の社会・経済状況の変化に対応できていないのは確かで、子育ての孤立から虐待や女性の産後うつ・育児ノイローゼの問題も生じ、一方、男性もリストラによる正規労働者の減少によって、超過負担による過労死や自殺などが増加しています。男性を利してえるように見えながら、本当は女性も男性も不幸にし、働き盛りの層を疲弊させる性別役割分業とそれを裏支えするシステムは、少子化だけでなく様々な災いをもたらしているのです。
そうは言っても、性別役割分業は、家事・育児・介護(再生産労働)と仕事(生産労働)という個々の生活に根深く入り込んでおり、かつ福祉・社会保障制度と税制、労働政策、戸籍や民法など広く絡まっていてとても複雑です。雇用均等法や育児休業法、男女共同参画推進法などバラバラに打ち出すのではなく、人の一生のライフサイクルにそった社会政策全体の組み直しと財源論議を一緒に、一気に進める、つまりもういい加減パラダイム転換せよと迫られているのではないでしょうか。
(「ワーキングマザー」にならず、親の介護もなしに見送り、一生を猫の使用人で終わりそうなヨレヨレ・ワーキングウーマン)
*トップページでもお知らせしていますとおり、『ベーシックインカムとジェンダー』の出版記念シンポジウムが4月15日午後1時30分〜 千代田区飯田橋の東京しごとセンター 地下講堂で開催されます。著者からの発題を受けて、参加者全員による車座ミーティングを予定しています。参加自由ですので、ふるってご参加ください。