今は昔の話になりますが、1964年、ドイツ文学者である柴田翔氏が書いた『されど、われらが日々』という小説が、芥川賞を受賞しました。詳しい筋書きは別にしまして、印象的であったのは、主人公の大学院生の青年が自嘲気味に自分は将来、地味な大学のドイツ語教師にでもなって目立たない人生をひっそり送るのだろうと、漏らす場面です。いかに時代が半世紀前のこととしても、現在となんと事情が違うことでしょうか。いまや大学の教養課程は廃止され、大学生必須の第二外国語という義務はなくなりました。その結果、ドイツ語やドイツ文学を習う場面は極端に少なくなり、この小説の主人公のように「でもしか」感覚でドイツ語教師になるというようなことは絶対にあり得なくなりました。いまやドイツ文化に触れる機会が少ないように、ドイツ語を教養の一部として学ぶこともなくなったので、ドイツ語の先生になるというのは本当に狭き門になりました。
でも、「産湯を捨てるときに赤子も捨てるな」という諺にもあるように、不用になった(と思われる)古い教養至上主義を捨て去る際に、大切なものまで捨ててしまうのは、実に勿体ない話です。最近「モッタイナイ」が世界語として流布され始めたように、教養主義のいい部分まで弊履を捨てるように破棄してしまうのは、世界の奥行きや広がりを無視してしまうモッタイナイ行為なのではないかと思います。
最近、小社では
『ドイツ語<語史・語誌>閑話』という本を出版致しました。言語学者であり、長年ドイツ語の指導に尽力されてきた京都大学元教授の石川光庸氏が書き下ろした新作です。ドイツ語についての本でありますが、明るく楽しい日本語文章でドイツ語の魅力とドイツ文化の多様性や意外性を縦横無尽に詳述しております。
ドイツ語やドイツ文化というと、昔懐かしの教養主義を連想する向きも多いかと思いますが、本書のタイトルの響きにもあるとおり、ゴシゴシ磨くと思わぬ発見が次々に出てくるタカラの山ということもあります。是非、ご一読をお願いします。