1991年の初版以来、毎年度ごと(なんと21年目!)改訂している
『How to 生活保護』【雇用不安対応版】が今年も5月21日に2012-13年版が出ました。福祉事務所のケースワーカー、面接相談員、医療・福祉現場のソーシャルワーカーという生活保護運用現場の職員が、現場経験と法の原則に則って執筆しているのですから、生活保護を利用しようとする人、利用者にとってはもちろんツヨーイ味方ですが、現場で働く新人職員にとっても『生活保護手帳』に載っている運用解釈を補う最適の指南書として利用されているため、異動発令前後の3月、4月、5月に特に売れ行きのよい商品です。中には前年度の版を置き土産に異動していくワーカーさんもいるようですが、保護費の金額だけでなく、周辺の社会保障制度がころころ変わるので〔児童手当→子ども手当→児童手当、障害者の支援費制度→自立支援法→総合支援法(ただいま審議中)〕、古い版はそのまま使えないのです。
ところが、今年は例年と違った反応をいただいています。それは、某女性週刊誌にお笑いタレント(推定高額所得)の親が生活保護を受けていたことが報道され、自民党議員や一部マスコミでの批判、ネットでの誹謗・バッシングが拡大し、国会質問で小宮山厚生労働大臣が扶養照会の強化、裁判所の調停などによる生活保護の「適正化」を打ち出したことから、本書の執筆者(福祉事務所の現場職員)のコメントが欲しい、という問い合わせが雑誌・テレビ局から舞い込んでいるのです。
21年本書を出し続けてきた間、生活保護関連の「事件」はいくつもありました。公的扶助研究会(ケースワーカーら現場職員の自主的研修団体)が生保受給者を揶揄した「福祉川柳事件」。エアコンは贅沢品として取りはずされ、熱中症でお年寄りが40日間も入院し、市議会で追及された事件。北海道で、通院のための移送費を過大請求していた「不正受給事件」。暴力団員の「不正受給事件」。北九州や札幌市で保護を辞退させられたり、受け付けてもらえず餓死した事件。2009年、リーマンショック後の派遣社員の大量解雇による年越しテント村の出現と集団保護申請。その都度、生活保護制度の在り方が問題にされ、「適正化」が謳われ、一方で運用現場のマンパワー充実や「最後のセーフティネット」にふさわしい対応が求められたりしました。
しかし、今回のバッシングは単に生活保護を法に則って正しく運用せよという以上の圧力を感じます。発端の女性週刊誌は「家族は助け合うのが当たり前」「3親等以内の親族は扶養義務がある」として、このタレントは自分の母だけでなく、妻の母(生活保護受給していた)も扶養すべきなのにしていないと続報し、フジ・サンケイグループなど大手マスコミの中でも扶養義務をもっと厳しくすべきという論調が目立ちます。
生活保護が100%税金で運用されている以上、法に則った適正な運用は当然ですが、こうした論調は、生活保持義務者(夫婦間、未成年の子に対する強い扶養義務)と生活扶助義務(その他の親族間の弱い扶養義務)を一緒くたにして論じているうえ、扶養義務が生活保護利用に優先される義務であって、必須要件ではないという制度の根幹を無視しています。「もらえる物はもらっておかなければ損という風潮が蔓延している」とあたかも「生活保護受給者209万人」の数字が濫給(必要でない人が利用している)の結果であるかのように煽っていますが、そもそも監査で「不正受給」とされた割合は金額にして0.5%にも満ちません。その一方で、捕捉率すらまともにつかんでいない国の怠慢、「適正化」を忠実に実行した北九州市での餓死事件に象徴されるように、「漏給」(生活保護基準に達していない、本来必要な人が利用できないまま放置されている)はほとんど追及されていません。
若い世代や都会の感覚ではあまり実感できないかもしれませんが、扶養照会が子どもやきょうだいに行くことを恐れて「福祉の世話にはなりたくない」と生活が苦しくても福祉事務所の高い敷居をまたげない人はたくさんいますし、そもそも家族の援助をあてにできない、そのような関係がないから困窮し、どこにも頼ることができずにいるのです。(これは私の独断ではなく、某新聞系雑誌のインタビューに答えた本書執筆者=福祉事務所職員のコメントです。)
生活保護は「生存権保障の最後の砦」といわれて半世紀以上。この間の経済・社会状況、雇用環境や家族形態の変化から見て、生活保護制度が今の「時代に合わない」制度設計になっていることは事実でしょう。家族化・少子化が急速に進み、介護や子育ても家族だけで担うことはほとんどなく、保育園、介護保険など様々な社会資源を使っているわけで、今さら大家族制度の頃のように家族で面倒を見るべきだというのは、時代錯誤に等しい論理です。制度の在り方をうんぬんするなら、扶養義務の強化の方向でなく、社会状況に合わせ世帯単位から個人単位へのシフトを検討すべき時なのではないでしょうか。
扶養義務強化、家族での支え合いという論調を突き詰めれば、金持ちの子は親から扶養してもらえばよいということになり、稼得能力の低い障害者は一生保護の対象から抜けられず、家族に隷属せよ、ということになります。これは、親・家族の庇護の下でしか生きられないとされてきた障害者が、独立した人格をもつ存在として親・家族からの自立を求めて、所得保障や地域で当たり前に生きるための制度を求めて闘ってきた歴史を反故にするものです。一方で、子は親の面倒を見るべきだ、という心情的な圧力は、度を超すと戦前の修身の世界に先祖返りしかねません。
「こんな不正受給があるなら税金払いたくない」という社会的な不満を醸成して生活保護利用者のモラルハザードを非難していますが、高額所得者はそれにふさわしい税を納めればいいだけの話ではないでしょうか。
税金の無駄遣いを言うなら、広大な屋敷に住み、数多な使用人を使いながらすべて税金でまかなわれ、財産がありながら税金も納めずに、男子が新しく家庭をもてば新たにその一家用の予算がつき、女子が嫁げば莫大な持参金が税金から持ち出される。そんな特別な一族の家計こそ、問題にされたらと思うのですが……。(猫)