去る7月1日(日)、東北地方太平洋沖地震による巨大津波で甚大な被害を受けた宮城県石巻市で、被災地障害者センターみやぎ主催の講演会「共に生きる石巻を作り出す連続公開講座」の第一回目があり、震災後初めて、石巻の地を訪れました。
昨年3月11日の東日本大震災発生直後、被災地の障害者支援のために、DPI(障害者インターナショナル)日本会議やJIL(全国自立生活センター協議会)などの障害当事者団体、阪神・淡路大震災を教訓に生まれた「ゆめ・風基金」を中心に、「東北関東大震災障害者救援本部」(以下、救援本部)が設立され、避難所が使えない障害者、その家族への救援物資の輸送や避難受け入れなどの緊急支援を始めました。そうした活動のなかで、被災3県の現地支援拠点として、被災地障がい者センターが立ち上がりました。宮城県内では昨年4月1日、県内の障害当事者・関連団体の14団体が被災地障がい者センターみやぎ(以下、センターみやぎ)を設立し、救援本部のバックアップを受けて、宮城県内の被害状況の調査、ニーズの把握、金銭的・物的・人的救援を担ってきました。〔震災直後の被災障害者の状況、救援活動については、
『季刊福祉労働』131号「東日本大震災障害者救援・復興支援ドキュメント(3.11〜5.11)」(2011年6月25日刊)をご参照ください。〕
東日本大震災における被災3県の障害者の死亡率は障害のない人の2倍、沿岸部では約3倍という数字がNHKなどの報道機関の調査から明らかになっています。この数字は障害者手帳を持っている方のみの数字ですので、加齢によって難聴になったり失明したりした人、介護が必要な人を加えると相当な数字になると思われます。
防災・減災対策として以前から「災害時要援護者」への対応が課題になっていながら、障害のある人たちが、日常の地域社会生活において移動の困難さや生活の不便さをより抱えているがゆえに、より多くの方が命を失ってしまったという事実は、地域社会に重い課題を投げかけています。〔震災から見えてきた課題、被災地の現状については
『季刊福祉労働』135号の特集「東日本大震災と障害者」(2012年6月25日刊)をご参照ください。〕
こうした課題を受け止め、センターみやぎは、「障がい者が障がいをもつがゆえに『災害弱者』となったのであれば、私たちの目指すべきは、決してそうした以前と同じ状況への復旧ではありません。災害時においても障がい者が犠牲になることがない街、障がい者と健常者が共に生きていく街として石巻を再生し、ひいては宮城全体を再生していきたい」という思いでこの公開講座を企画しました。
第1回目は「共に育つ」と題して、金沢で「ひまわり教室」という療育の通園施設の元施設長で、障害児を普通学校へ・全国連絡会代表の徳田茂さん。(ご著書
『特別支援教育を超えて』が弊社刊であります。)
当日、公開講座の始まる前に、石巻の被災跡を「障碍児と共に歩む会」の小林厚子さんの案内で巡らせていただきました。 小林さんの自宅も1階に津波が押し寄せ、2階に避難して湯たんぽの水を飲んでしのぎ、3日目にようやく救命ボートで避難されました。
何百もの遺体が横たわっていた運動場(今はボランティアによって花が植えられている)や 津波で破壊された家屋、土台だけ残され更地になった海岸端の旧住宅地、ガレキや廃車の山の傍らを通り、津波に追われ、登りきれずに 逃げ遅れた方々が波にさらわれた日和山に登ってみて、3・11以降、テレビで何度も流された情景がここで実際に起きていたんだという感慨にとらわれました。
市内を一望できる日和山公園は桜の名所でもあるそうです。普段はお花見に訪れるのどかな場所は、あの日、黒い巨大な竜のような津波が多くの人命と生活を呑み込んでいった惨劇の映像が全世界に流された発信地になってしまいました。
既に生々しい臭いは消え、混乱の傷跡は一見見えなくなっていましたが、破壊された家屋もまだそのままに、 その隣で新築・改修工事が始まっている地区、中心部の商店街のシャッター街化が加速している状況を見ると、これからのコミュニティづくり、人の繋がりを維持していくことの困難さを思わざるをえませんでした。
公開講座では、徳田さんはご自身のダウン症の障害をもつお子さんや「ひまわり教室」で出会った子どもたち、親たちとのやりとりのなかから、「特別な療育や特別支援教育によって、分けて一人ひとりの能力を高め、競い合うように個人が頑張るのではなく、お互いの関係の中で生き合う、育ち合う中でこそ人は無限に変わっていける」ことの大切さをお話ししてくださいました。
今回の巨大地震・津波という自然の圧倒的な脅威の前に、一人の人間ができることはいかに小さく、お互いに助け合うことでしか生き延びることはできないことが思い知らされた今、被災地石巻だけでなく、改めて共に生きる地域・社会づくりの重要性を実感した次第です。
当日参加された方の中に、NPO法人をつくって、自宅で子どもの養護支援を始められた方がいらっしゃいました。津波で親を失い、親戚宅に預けられたのだけれど 知的障害があってうまくいかず、その家族の転勤を機に置いていかれてしまったのだそうです。
石巻市には児童養護施設がなく、こんなに突然、一遍に多くの親を失った子どもが出現した時、どこにも行き場のない子どもがいて、親・自宅を失った上に友達や住み慣れた場所からも切り離されて、東京など県外施設に入所せざるをえないという状況をこの集会で初めて知りました。(確かに、親を失った子はどうしているのだろうと気にはなっていましたが。)
しかも障害をもったお子さんは、児童養護施設でなく、障害児施設に措置されますので、 ますます地域から切り離されてしまいます。そのため、ご自身にもお子さんが2人いらっしゃるのですがこのお子さんを里子として預かり、法人格が取れたので、自宅を増設して6人まで預かる予定だそうです。
まだまだいろいろなところに制度が追い付かず、障害者が地域から隔離されていく実態があること、そしてその隙間を埋めようと取り組んでいらっしゃる方に出会えて、現地ならではの集会の意義を再確認しました。(猫)