編集部だより
2012年09月25日
日本に無数の「国境」があった
1780年頃の話だそうですが、長い航海を経てイギリスからオーストラリア大陸に来た人びとは、「ここは誰も所有していない空白の土地だ」と思い込んだ、といいます。もちろんオーストラリアには先住民が住んでいたのですが、西洋的な土地所有登録制度を整備していないので「無主」だと解したそうです。無茶苦茶な理屈ですが、侵入した者が自分を「開拓者」と思い、その土地は誰のものでもない、という思い込みは「テラ・ヌリウス」と呼ばれています。ラテン語で「無主の土地」という意味です。オーストラリアの先住民からすればとんでもない蛮行で、侵略以外の何物でもありません。
オーストラリアにおいてこれが法的に正式に正されるのは、何と1992年です。200年も待たないと修正されないという事実を見ると土地をめぐる争いの根深さ・難しさを改めて感じます。
しかし、そもそも土地の所有・帰属問題というものは政治・行政問題の中でも難問中の難問で、歴史的な事例を見ても解決できないほうがむしろ多いようです。時代ごとに帰属が変わったり、当事者同士の主張が折り合わないまま一方が占領状態を続けたり、立ち入り禁止区域にして事実上の棚上げにしたりとさまざまですが、歴史上、日本国内でもこういった問題はいろいろあったようです。
日本は実は、国境策定について多くの歴史的経験を積んで統一国家になった国です。
古代や戦国時代はもちろんですが、江戸時代が終わる明治維新の頃、版籍奉還から廃藩置県、つまり藩が県になるときに、細かく複雑な過程がいくつもありました。藩領地がそのまま単純に県境になったわけではなく、大幅に変わった所がほとんどです。明治維新とは、国内国境の大変革の時代だったのです。その際には細かな折衝、政治的駆け引きや思惑も込められておりました。強引にことを進める薩長政権と何とか凌ごうとする地元有力者の駆け引きは、流血と和解が混在する近代へのきしみそのものです。薩長土肥 VS. 奥羽越列藩同盟だけではなく、歴史書にはっきりと残らなかった土地を巡る物語は、「歴史の余白」として今も各地に伝承や郷土意識として残っています。
小社で刊行中の「シリーズ藩物語」は、9月刊行の『松代藩』でついに30藩目の刊行になりました。このシリーズの別冊として『それぞれの戊辰戦争』という本も出ております。土地と人が強く紐付けされ、郷土=祖国だった時代から、「日本」という近代国家に変貌する過程で人びとは何を目撃し経験したのでしょうか? そして土地と国家版図に対する意識はどう育っていったのでしょうか? 各藩それぞれに土地をめぐる物語があった「サムライ国家」が「明治日本」になるためには、徹底的な土地への意識変革が必要でした。江戸時代の歴史が、「土地と日本人」「日本の領土」を考えるときの基本資料となるのはそのためです。
日本国内に無数に「国境」があった時代の土地問題解決の叡智について学ぶことのできる最適の読み物が「シリーズ藩物語」です。東京からの目線ではけして捉えられない、さまざまな日本史を紹介しております。
先人の国境策定の知恵が詰まった「シリーズ藩物語」を、今こそ是非、お手にとられてください。