お蔭様にて、5月22日(日)の「季刊 福祉労働150号記念講演会・シンポジウム」は北海道から沖縄まで、創刊時からの読者・執筆者から、小学生まで110余名のご参加をいただき、無事終了いたしました。誠にありがとうございました。
この日は神奈川・障害児の高校進学を実現する会、インクル北海道、日本社会臨床学会の不登校対策法に関するシンポジウム等、分離に反対する同様の趣旨の集会が重なり、従来から「共生・共学」の取組みをしてきた方たちの参加が割れることが予想されたのですが、その分、DPI、JIL、バクバクの会、呼ネット関係の働きかけが効を奏したのか、車いす、人工呼吸器利用者の方の参加が目立つ集会となりました。『福祉労働』創刊当時からのなつかしい読者や執筆者、そしてこのイベントへのご協力・ご参加をお願いする中で新しくつながった関係の方々。懐かしい邂逅と、新しい出会いが交差し、参加者・登壇者・スタッフすべてにとって満足いただけたのではないかと感謝申し上げます。
シンポジストの平本歩さん、梅村涼さん、海老原宏美さんの障害当事者3人は、「共に学び・育つ」道を切り開いてこられた中でも、人工呼吸器を付けて地域の保育所・学校へ、 0点でも高校へ、親の付き添いなしでの学生生活のパイオニアのような方たち。保育所・学校と小さい時から共に居ることがいかに今の生き方、暮らし方につながっているがお話しされました。
親の立場でお話しされた柴田靖子さんは、上のお嬢さんを勧められるまま療育・特別支援教育という障害児専門コースにのせてしまい、一方同じ水頭症の障害をもつ下の息子さんについては、2人とも発達保障するなんて無理と発達放棄して無認可保育園に入れ、そこで障害のない子どもたちと当たり前に育ち合っていくのを見て、障害児専門コースに分けてしまうことの問題に気付かされた、というお話。(詳しくはイベント直前に刊行された
『ビバ! インクルージョン――私が療育・特別支援教育の伝道師にならなかったワケ』をご覧下さい。)
教員の宮澤弘道さんは、多様性を排除し管理と効率化が進む学校現場では教員も子どもたちもとても息苦しい状況であること、その中で共に学ぶことは人権の基礎であるとお話しされました。質問に答える中で、発達特性が強い子どもを医療につないで入院させてしまい、外からカギのかかる部屋で薬を飲まされている実態を知り、退院後真剣にその子と向き合う中で、特別なことを何もしなくともクラスの中でその子がきちんと位置づいていったという経験もお話されました。
親として、教員として、一旦子どもを分けてしまった経験から学び意識変革をされていったわけですが、そうした個々の経験が決して偶然ではなく、特別支援の名の下に細かく精緻に分けられていく厳しい状況の中にあっても、そこかしこに運動の水脈があって、出会うこと、そこで当事者と真剣に向き合うことによって、インクルーシブな社会をつくっていくための新たな変革が生まれてきた、そうした流れを堀智晴先生の講演で確認できたかと思います。
記念講演とシンポジウムの内容は、『季刊福祉労働』152号(9月刊)以降に、収録していく予定です。ご参加できなかった方は、是非誌面でその雰囲気の一部でも感じ取っていただければと思います。今回の記念講演&シンポジウムで皆さんと共有できたものが、それぞれの場で活動を広げ・深めていくためのエンパワーに少しでもなれば幸いです。
最後になりましたが、この集会開催のために多くの方・団体からご賛同カンパ、またご後援、協賛いただきました。今までのつながりとご支援に改めて感謝申し上げます。協賛団体からのご挨拶で、「次は200号記念を目指して」との激励もいただきました。分離教育と差別がそこまで長く続くのは望みませんが、障害当事者運動、そして分離と差別に抗い、共に生きるインクルーシブな社会を創造する多様な運動に伴走し続けていきたいと存じます。今後ともよろしくお願い申し上げます。(猫)