編集部だより
2017年05月16日
再び満員御礼!
『差別されてる自覚はあるか―横田弘と青い芝の会「行動綱領」―』刊行記念トークイベント第2弾が、5月12 日(金)下北沢の本屋 B&Bで行われました。
「相模原障害者施設殺傷事件から、 いのちの始まり〜おわりを考える」と題して、川口有美子さん(ALS/MND サポートセンターさくら会副理事長、ALSを発症したお母様の介護体験をまとめた『逝かない身体』で第41 回大宅壮一ノンフィクション賞受賞)をゲストに、著者の荒井裕樹さんといのちの線引きに〈抗うことば〉を探るトークを展開。
お二人がそれぞれ選んだ障害者運動、患者運動の名言5選に沿ってリレー形式に、時々脱線しながら、安楽死・尊厳死、相模原事件、障害者運動と介助者との関係、コミュニケーションの相互性、介護とジェンダーなどなどお話いただきました。
前回の中島岳志さんとのトークイベントは知り合いの方が多かったのですが、今回は荒井さん、川口さん、そして私にとっても知った顔は合わせて10名ほど、その他の皆さんはどこで知って来ていただいたんだろうと、不思議。実はB&Bさんは人工呼吸器・車いすユーザーにとってはアクセスの問題があり、あまり積極的に情宣しなかったという事情もあるのですが(もちろん、ご参加いただいた場合に備え、若い営業部員2名がスタンバイしてました)。
私たちの働きかけが及んでいない層、それも青い芝の会がさかんに活動していた70年代、80年代にはまだ、生まれたか生まれてないかという30代前後の方が多くご参加いただいたきました。荒井さんが危惧されていた「相模原の事件について怒る言葉が少ない、広がりがない」ということに対して、今回のイベントのテーマ「いのちの線引きに抗う」ということに反応して来ていただいたのだとすると、少しは、「ことばの力」の広がりと希望を感じることができるかな、と思った次第です。
打ち合わせのときに出ていて、時間切れで話が及ばなかったテーマも残っていますので、次回は車いす、呼吸器利用者の方にも心置きなく呼びかけできる所で、また出来たらと考えております。(猫)
【当日資料より】
荒井裕樹選:障害者運動の中の名言5選(順不同)
@:初鴉「生きるに遠慮がいるものか」(花田春兆句集『喜憂刻々』より)
Cf. 父とならむ喜憂刻々除夜の星(同・句集より)
A:「地球は淋しくなりました」(横田弘詩集『まぼろしを』より「鴉」)
Cf. 「母さんが往きました/ひっそりと手を振りながら/母さんは 往きました/足音は もう消えました//鴉がないています/二羽の鴉がないています/ジーッと私を見ています//地球は淋しくなりました」
B:「舟下ろしで人々の愛情に触れてわかったのは、「あっち」への誘いより「こっち」への誘い、つまり死ぬことより、生きることへの誘いの方が、強かったということです。」
(緒方正人語り・辻信一構成『常世の舟を漕ぎて――水俣病私史――』より)
Cf. 「患者認定」を取り下げて患者運動から離脱した緒方は、たった一人木造の舟を作って加害企業チッソの門前に座り込む。その際、周囲の人たちは皆、緒方が「逝ってしまう」ことを心配していた。
C:「死だけが不可逆なのである。生きて肌に温もりが残るあいだは改善可能性が、希望が残りつづけている。」(川口有美子『逝かない身体――ALS的日常を生きる』より)
D:「ある視点からすればいわゆる気が狂う状態とてもそれが抑圧に対する反逆として自然にあらわれるかぎり、それじたい正常なのです。」
(吉田おさみ『“狂気”からの反撃――精神医療解体運動への視点』より)
川口有美子選:重度障害者・患者による運動の中の名言5選 (順不同)
@:「『ヘルパーは派遣するが、吸引は家族がするように』。だったら家族はいつ眠るのよー!」
(橋本みさお「脳性と呼ばれてなお」『現代思想』2004年11月号より)
Cf. 呼吸器装着のALS患者としてはたぶん世界で初めて在宅24時間他人介護による独居を実現。
A:「不幸にして罹患した者よ。敢えて言う。生きなさい そして 周りの者達を正しなさい。愛はなくとも人の心があれば良いのです。そして自分は自分の心を持ちなさい。そして如何に辛くとも治ることを信じて生きなさい。生きよ。生きよ。」
(長岡紘司「在宅人工呼吸療法の黎明期を生きた男の遺言」『現代思想』2012年6月号)→『末期を越えて』年に収録。
Cf. 在宅人工呼吸療法を日本で二番目に開始(家族による)。自己流看護の記録.
B:「沈黙すれば、対話のレベルが『情報のやりとり』から『意味のやりとり』のレベルに深まっていく。」(たかお まゆみ『わたしは目で話します 文字盤で伝える難病ALSのこと そして言葉の力』より)
Cf. ブログ「ニューロンくん がんばれ!」
C:「最後に介護というものは絶対、介護者をお金で叩いて使うものではないのです。そこを乗り越えて、介護者と関係をつくっていくのが全身性障害者の介護なのです。そこは自覚してください。」
(新田勲「『足文字は叫ぶ』全身性障害者のいのちの保障を」より)
Cf. 新田勲は言葉が不明瞭であったので、床においた板の上に足を滑らせ文字を書いて、ヘルパーに読み取らせた。比較対象は「介助サービスだけを提供すると利用者は依存的になる可能性があるので、自立生活プログラムを平行して提供する必要がある。」(中西正司『当事者主権』より)中西らはCIL(自立生活センター)を立ち上げ、全国で介護サービスの提供を開始した。
D 「ちりょうとけんきゅうとしゅぎょうをあわせるにはげいじゅつがかなめになるということばがありました。これからはそのことをじつげんしたい」
(甲谷 匡賛 ALS−D記録係 岡本晃明「勝手に甲開日記」『現代思想』2008年3月号より)
Cf. 京都西陣で関西初の在宅独居24時間介護保障を獲得した甲谷匡賛と仲間たちの記録。前述の橋本みさおの独居支援運動「さくらモデル」を真似たが、芸術と仏教と建築と介護制度が、ALSを媒体に融合した独自の運動スタイルに発展した。甲谷は後に出家し、今も西陣の長屋でヘルパーたちと暮らしている。