現代書館

WEBマガジン 24/12/24


web掲示板談話 斎藤美奈子・森達也 第158回

件名:自衛本能が人を殺す
投稿者:森 達也

美奈子さま

 今年はどんな年だったかなとふと考えて、ほぼ答えがないことに気づきます。十代か二十代のころに「今年はどんな年でしたか」と質問されたら、「たくさん本を読みました」とか「営業成績でトップになりました」とか「本州縦断ヒッチハイクに成功しました」など、いろいろ答えられたような気がするけれど、この齢になるともうほとんど何もない。何もなかったのにいつのまにか一年が過ぎたなあという感じ。
 なぜ年齢を重ねるほどに時間の流れを早く感じるのかについては、人はこれまで過ごしてきた時間と現在を比べるから、ということらしいけれど(諸説あり)、確かにあっというまだなあと実感します。
 同様に体験についても、よく考えれば今年は猫をもらって一緒に暮らし始めたり映画祭で台湾やフランスに行ったりしているのだから、十代か二十代ならば今年の大きな出来事になるはずなのだけど、何となくルーティンの延長という感覚です。
 なかなか心が動かない。
 でもこれはもちろん、あくまでも自分の身の回りに限定していることが前提。世界に目を転じれば、美奈子さんが前回書いたように今年はワールドワイドな選挙イヤーだったし、そのほとんどに驚いたりあきれたりがっかりしたりすることの繰り返しだったし、ロシアとウクライナの戦争やイスラエルによるガザへの攻撃がこれほど続くとは思ってもいなかったし、他にも記すべきことはたくさん起きた。
 だから考える。人類はこれほどに進化して文明も?栄しているのに、なぜいまだに戦争や虐殺という最悪の愚行と手を切れないのか。
 この命題に対して、人には闘争本能があるからと答える人は多い。つまりトマス・ホッブズが17世紀に唱えた「人間は自己保存の本能と将来を予見する理性をも併せ持つから際限なく他者より優位に立とうとする」「だからこそ人間の自然状態は闘争状態である」とする「万人の万人に対する闘争」説が基盤になっている。
 以下は、朝日新聞デジタル12月12日に掲載された山極寿一京都大学前総長の論考の抜粋です。

 人々は、17世紀にホッブズが提唱した「人間の自然状態は闘争状態」という説を信じてきた。しかし、もしゴリラと人間の共通祖先が平和的だったとしたら、人間だけに暴力が表れたことになる。それはいつだったのか。映画「2001年宇宙の旅」では、人類がまだ猿人の時代に獣骨を武器にして争い合った姿が描かれている。これは、200万年前の古い人類化石を発見したレイモンド・ダートの説を下地にしている。だが、農耕牧畜が始まる1万年前ごろまで人類が武器で争い合った証拠は見つからなかった。暴力や戦いは人間の本性ではないのだ。でも、人々はいまだにホッブズの説を信じ、戦争は避けられないと思い込んでいる。


 アウストラロピテクスの化石を発見した人類学者レイモンド・ダートは、20世紀半ばに「戦争や個人間の攻撃性が人の進化の原動力となった」とするキラーエイプ仮説を発表して、ホッブズの提唱をさらに強化した。動物行動学者のコンラート・ローレンツも、生きものが闘争本能に支配されていることを肯定しているはず。
 でもダート以降、初期人類の化石骨は次々と発掘され、その生活様式に加えて化石骨に闘争や戦争の痕跡がほとんど残されていないことが明らかになって、キラーエイプ仮説は現在ではほぼ否定されている。
 人の利他性はとても強い。少なくとも闘争心よりも。でもならばなぜ人類は、戦争や虐殺をやめられないのか。
 初めてオウム施設に入って善良な信者たちを目撃してからずっと、人はなぜ組織的に人を殺すのかを考え続けているけれど、その要因は闘争本能ではなくて自衛本能だと僕は思っている。
 つまり「殺したい」ではなく「守りたい」。その帰結として敵への攻撃や殲滅が正当化される。もうひとつの要因は組織。人は群れる生きものだからこそ、組織や共同体の一員となることが自然状態であり、自身の感覚や倫理とはかけ離れたことでもできてしまう。ネタニヤフもプーチンも金正恩も、あるいは東方への生存圏を唱えたヒトラーやアジアの解放も訴えた東条英機も、さらに存在しない大量破壊兵器を理由にイラク武力侵攻に踏みきったブッシュ・ジュニアや、憲法改正に安全保障関連法や武器輸出三原則の修正などを主張する自民党保守派の議員たちも、戦争の理由は自衛なのだと説明する。他国への侵略を理由に創設された軍隊など、(少なくとも20世紀以降)世界には一つもない。すべて自衛が目的だ。その軍隊が人を殺す。虐殺する。
 仮に人類に闘争本能があったとしても、これを理性で抑制することは可能だけれど、(自分や愛する人たちを)守りたいとする自衛本能を理性で抑制することは難しい。だって自衛そのものは悪じゃない。
 もちろん、プーチンやネタニヤフやヒトラーや金正恩が自衛を口実に使っている可能性もあるけれど、でもそれは1かゼロではなく、自分の地位や国民や国を守りたいと思う気持ちが数パーセントでもあることは否定できないと思うし、何より厄介なのは、この本能はこれからも絶対に消えないということ。
 戦争が終わった直後の1946年の国会で、共産党の野坂参三衆院議員が吉田茂首相に公布されたばかりの憲法九条について、「侵略戦争は正しくないが、自国を守る戦争は正しい。戦争一般を放棄する形でなく『侵略戦争の放棄』とすべきでないか」と質問し、吉田は「近年の戦争は国家防衛権の名の下で行われた。正当防衛を認めること自身が有害だ」と答えて、自衛権の発動としての戦争も認めないという考えを示している。
 もっともすぐに吉田は変節するわけだけど、でもかつてはここまでの意識をこの国は共有できたことと、共産党の野坂が九条について反対を唱えて吉田が九条を守ろうとしたということも、ちょっと感無量というか嘆息したくなります。
 ……年の瀬に趣旨を決めないまま書き始めて着地できないままだけど、とにかく今年一年ありがとうございます。一回だけ現代書館の菊地社長と三人で食事できて良かったです。来年もよろしくお願いします。

森達也

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