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私の地元は田舎である。といっても、東京から車で2時間もかからないので、真正の田舎ではないかもしれない。でも、周囲は畑ばっかりだし、水道は10年前まで通ってなかったし、今でも井戸水だし、温泉も出るし、電車は通ってないし、スーパーへ行くのに車で30分かかるし、隣の家は200メートル以上離れているし、家には馬が、遠い右隣には豚が、その向こうに鶏が、遠い左隣には牛がいて、ジャムがつくれるほど野イチゴがとれ、遠目で見れば小さな生垣のように土筆が生え、小学校全校児童に行き亘るほどアケビがとれ、お祭りでは「日本一の焼き芋広場」と「世界一の野菜タワー」ができ、話す言葉の最後には「だっぺ」がつき、家が農家じゃないことが子どものコンプレックスになり、移住して三代続かない内はヨソ者で、屋号が通じなければ話にならず、中学受験をするだけで異端者とされた。
こんな風に、地元を語るときの私は「田舎度」を殊更アピールする。聞いた人から「へぇ〜 田舎だね」という一言をもぎ取るために話しているようだ。
実際は東京に10年暮らし、網の目の地下鉄を乗りこなし、水道水のお風呂に浸かっているのに、それでも「都会なんて!」と思っている。深夜に交通機関を利用したり、欲しいものを即時手に入れたり、田舎では味わえない便利さを享受しているくせに、そこはあえて評価せず、「東京は稼ぐところで住むところじゃない」と、東京ギライぶっている。
なぜこんなにも東京に厳しく田舎に甘いのか? そんなに田舎が好きなら帰ればいいのに、なぜ東京で暮らしているのか?
私はとにかく自分の田舎が好きである。子ども時代にあまりいい思い出もないが、「帰省」をするようになってから田舎を愛おしく思うようになった。それは多分、時間があってのんびりできる時に帰省をするので、「田舎=ゆったり」という都合のいい図式ができあがっているせいだ。東京が日常で、田舎は非日常。
都会と田舎を二項対立させて比較をしてしまうと、地元を愛するために東京をこき下ろすことになってしまう。でも、実は東京のことだって嫌いではない。そして、世界でいちばん素晴らしい私の地元は、どこかと比べることなく独立して愛せるはずである。
今回担当させていただいた扇田孝之氏の『東京発信州行き 鈍考列車30年――まちの味わい いなかの愉しみ』は、むずむずとした私の「都会vs田舎」の対比を、見事に解いてくれた一冊である。
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