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ダメージ |
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プロ野球選手の思いがけない一瞬のケガ。選手生命を断たれる者、再起して記録を残す者。その選手と共にケガの克服に励むトレーナー。表舞台に出ることのないトレーナーの日常と再起に賭ける選手達の姿を克明に活写したスポーツルポ。 [著者紹介・編集担当者より] 今は、一昔前から考えると信じられないようなケガがプロ野球選手にも多いという。フェンスへの激突、死球。ほぼ絶望と思われたダメージから再起するまでの選手達とトレーナーの二人三脚。野球への燃えるような情熱がこの本から伝わってくる。(宮) 目次 プロローグ 第一章 神の手と、ひとの手と 見張り塔からずっと 折れたマサカリ 七月六日のホロスコープ 第二章 再起へのメディシンボール 天才バッターのアキレス腱 中国鍼の謎 上がるひと、とどまるひと ドクとユタカの邂逅 第三章 ドラフト一位の栄光の影で 群れを離れたバッファロー もうひとつのブレイン・ダメージ Yの悲劇 キルシュナーでつないだ未来 第四章 還ってきた戦士たち ダッグアウトのセレモニー 肩の温度差 ファームに遊ぶ春駒 マウンドへのモチベーション 生き様の輪郭 第五章 あいつのいないグラウンド 魂が頬笑んだ空に ギブアップしない男たち 賛美された「三振」と「死」 エピローグ あとがき プロローグ 試合開始直前のスタンドの喧騒をよそに、ライトポール下のブルペンの一角だけは異様な静寂が支配していた。古びた球場の煤けたスタンドに挟まれた空間。そこはまるで仏壇めいて薄闇の帳とばりに三方を閉ざされていた。とすると、灯明とでもいえるのか、いくつかの投光器が、ママゴトじみた祭壇のように少し盛りあがったマウンドをふたつ、厳かに浮かびあがらせていた。 この夜、藤井寺球場ではホームチームである大阪近鉄バファローズのシーズン最終試合となる対千葉ロッテ・マリーンズ戦が組まれていた。パ・リーグのシーズンの帰趨はとうに決し、ダイエー・ホークスが優勝、各球団の成績もすでに決まっていた。つまりこのゲームは、最下位が決まっている近鉄の一三五試合目、最終戦の消化試合だった。とはいえ、1950(昭和二十五)年の初シーズン以来、バファローズのホームグラウンドとして親しまれてきた藤井寺での一軍最後のゲーム、バックネット裏の特別席以外が無料で開放されたこともあって、公式発表で一万八千人のファンが詰めかけていた。 先発投手は、バファローズがこれまで4勝3敗のユウキ(田中祐貴)、マリーンズは6勝10敗の武藤潤一郎だった。 1回の表にマリーンズが三安打を集めながら、盗塁王を狙う小坂誠の走塁ミスなどがあって無得点。その裏のバファローズの攻撃、さらに2回表のマリーンズの攻撃が無安打で、膠着した試合展開になるかと思われた矢先の2回裏、吉岡雄二のソロホームランがレフトスタンド最前列に飛びこんでバファローズが1点を先制した。 本塁打の興奮の余韻でスタンドがざわつく間にブルペンの様子をうかがう。すると、それまで神気が漂うほど静寂に見えていたブルペンに人影があらわれた。いつ出てきたのかブルペンカーも待機している。 もしや、やつがウォーミングアップをはじめたのか……。 いさんでブルペンまで走った。しかし金網の向こうに見えたのは、佐野重樹とマットソンのふたりの投手。待ち兼ねていた、やつではなかった。 数日前、脳腫瘍の摘出手術から復帰してきたバファローズの盛田幸妃投手が、この日一軍のマウンドにあがることが公式に発表されていた。 「脳にメスを入れた選手が復帰する……」 間違いなく奇跡としかいいようのない出来事を確認したい。その奇跡を体現した選手にエールを贈りたい。そんな期待と興奮とを胸に球場にかけつけたファンは少なくなかったはずだ。スタンドには「盛田」や、彼の背番号「21」のカードを持った若者のグループがいくつか陣取っていた。 ふたたび視線をグラウンドにもどしてゲームを追う。しかし気持ちは集中できなかった。歓声がわくとグラウンドに目をやり、プレイの合間に再々ブルペンを凝視した。そのうち佐野もマットソンもアップを終えたらしく、金網越しにゲームの進展を追っていた。ブルペンは、ふたたび無人となった。投光器に照らされたマウンドに、ふたたび沈黙が訪れる。 4回にバファローズ川口憲史のソロホームランが、マリーンズファンが陣取る左翼スタンド最前列に落ちて、球場全体に歓喜と落胆の歓声が交錯した。その興奮から身を引いて、ブルペンに目を走らせると、誰かがアップをはじめていた。そしてその姿を追うように、いつの間にかひとだかりがしていた。 こんどは間違いない。なぜか確信をもってブルペンに走った。 「もりたぁ、おかえり!」 若いメガネの男が声をかけた。 「がんばってくださいね」 マウンド上で入念に屈伸運動をしていた盛田が帽子に手をやり、口元を一瞬ひきしめた。そして軽く頷うなずいたようにも見えた。 「なんや、盛田が投げてるの見るだけで、うれしな」 バファローズのユニフォーム姿の若い男が、金網をつかんだまま隣の女を振り返った。 「うち、もうウルウルきてる。マウンドにあがるの見たら、泣いてしまうかも」 女はすでに目を潤ませていた。 「いいやん。泣けば」 若い男は、盛田と同じ背番号「21」のユニフォームの上着を羽織った女の背中にそっと手をまわした。 何カ月か二軍に合流して日中の練習をしていたせいか、ユニフォームからのぞく盛田の二の腕は赤銅色に灼けてたくましく見えた。本当に脳にメスを入れたのかと疑りたくなるほど、からだの張りもある。ただライトの加減か緊張のためか、顔色は少し青ざめていた。 一つひとつの動きに筋肉や神経がどう反応するか、慎重に確かめるようにプレート上で屈伸運動をしていたかと見ると、盛田はゆったりとした動作から人垣の陰にいるキャッチャーめがけて投げ込んだ。そして投球した勢いのまま、何歩か歩み出た盛田がプレートに戻ろうとして踵をかえしたそのとき、私の顔から血の気が引いた。 びっこを引いている! まさか、と思いながら、私は右足を少し引き摺るように歩く盛田の姿を追った。脳の手術と足の不具合、それがすぐには結びつかなかった。極限のワザとスピード、パワーが拮抗する一軍のグラウンドで、はたして足の不自由な投手が投げられるのだろうか? プレートにもどった盛田は、また膝の屈伸をしてから、ゆったりと大きなフォームでキャッチャーめがけて投げ込んだ。ボールは小気味いい音を立ててミットにおさまった。スピード、キレがどの程度戻っているのか、正直いって素人目にはわからない。ただ何か手ごたえのようなものがあった。それはボールにこめられた強い意志とでもいうものなのだろうか。 5回までユウキがマリーンズを無失点に抑えて勝ち投手の権利を得た。その裏の近鉄の攻撃がはじまると、ブルペンの盛田のピッチがあがった。たぶんつぎの回からのリリーフだろう。全力で何球か投げて投球練習を終えた盛田は、軽く脚に屈伸をくれてユニフォームの足元を整えた。それからブルペンカーの脇に歩み寄って出番を待った。 バファローズの攻撃が終わり、興奮の余韻がおさまったのを見はからったように盛田は横滑りにリリーフカーに乗り込んで待機する。そろそろ盛田が出てくる、そんな予感で張り詰めたような球場に、投手交代のアナウンスが流れた。 「近鉄バファローズ、選手の交代をお知らせします。ピッチャー、ユウキにかわりまして、盛田!」 予感と期待とが現実となったスタンドは、はちきれんばかりの興奮と熱狂とにつつまれた。 ブルペンの扉が開けられた。盛田が帽子をとって無言の挨拶をする。スタンドの歓声が一層大きくなってうねった。 背番号「21」を乗せたブルペンカーが走りだした。雌伏の闇から、カクテル光線に浮かぶグラウンドへと……。 それは1999(平成十一)年十月七日の夜のことだった。 |
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