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楕円幻想 |
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装幀 小林敏也 |
ドストエフスキイ耽読の高校時代、そして漱石、賢治、30代で古井由吉と出合った著者。批評でも評論でもなく“私的なエッセイ”と自ら語る本書だが、独特の感性と表現によって、四人の作家を通したひとりの人間の姿を色鮮やかに映す。 [著者紹介・編集担当者より] 武田秀夫(たけだ・ひでお) 1939年生まれ。青梅在住。 著書 『当世教師廃業事情』(現代書館、1985年) 『私塾霞国語教室風景』(ウイ書房、1986年) 『さようなら少年の夢』(朝日新聞社、1988年) 『嵐寛が風にゆがんだ』(朝日新聞社、1991年) 『セイレーンの誘惑――漱石と賢治』(現代書館、1994年) 『茱萸と荒海――こどもの主題による四十一の変奏』(雲母書房、1994年) 『いつのまにか朝日が――癌という経験』(現代書館、1996年) 『シネマの魔』(現代書館、1999年) 『映画的郷愁 CINEMA ESSAY』(パロル舎、2004年) 『子ども万華鏡 CINEMA ESSAY』(パロル舎、2009年) 人々の多くが煩悶する青年時代にドストエフスキイの『罪と罰』に出合うことで、著者はその苦難の時期を乗り越えたという。その後の教師生活、癌という病との共存、親の看取りなど、さまざまな人生のなかに必ず、作家あるいは作品中の登場人物を心に置いて思念の拠りどころとしてきた。 ときには自己の内面を探るために深く、ときにはユーモアまじりに友人のように語りかけ、その作家と付き合いながら人生を歩んできたといっても言いすぎではないだろう。 本書で、ドストエフスキイと古井に関しては初期の作品を主に取り上げている。『貧しき人々』『分身』『白夜』、『雪の下の蟹』『男たちの円居』『先導獣の話』など、初めて出合った当時は浅くしか読むことができなかったものを読み直すという作業を行うことも忘れない。 作家あるいは作品を頼りに生きていく姿は、人として純粋な生のあり方だと感じられる。精神的な成熟に向かって、その一歩一歩を楽しみながら、たしかな足どりで歩みを進める著者の姿はまぶしい。(山) 5月5日日本経済新聞で書評掲載! [目次] はじめに 第1章 楕円を描く このごろ考えていること 賢治を焦点として 漱石を焦点として ドストエフスキイを焦点として 古井由吉を焦点として ここすぎて道はいづこへつづくらむ…… 第2章 初期ドストエフスキイについて 「貧しき人々」――ただならぬ初老の九等官 ジェーヴシキン 「分身」――自意識を病む九等官 ゴリャードキン 「弱い心」――幸福の絶頂で発狂する若者 ヴァーシャ 「主婦」――flaneur(フラヌール ふらつき歩く人)としての若者 オルディノフ 「白夜」――ペテルブルグの若き空想家 第3章 漱石と賢治における〈父〉と〈母〉 第4章 初期古井由吉について 「雪の下の蟹」――針を埋めこまれた蟹 夢の話――孫娘の明るい糾弾 自我の広がり 分身幻想 「朝の男」――過去の阿鼻叫喚が未来に回りこんで待ち構えている 1970年夏 古井由吉をはじめて読んだ頃――第一作品集『円陣を組む女たち』の「あとがき」について 「男たちの円居」――箱船としての山小屋に閉じこめられた男たち 円陣を組む女たち 「木曜日に」――霞牛、道草を食いながら古井由吉の第一作を読む 「先導獣の話」――群れを空虚な熱狂に誘う者 内なる先導獣 おわりに――雷雲の下の生 あとがき |
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