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『ミセス』の時代 |
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装幀 加藤さよ子 |
高度経済成長期まっただなかの60年代初めに誕生した婦人誌『ミセス』。斬新なレイアウトや知的な特集で、世の女性たちから絶大な支持を得る。名編集長と謳われ、ファッション界をも牽引した今井田勲の生涯とともに、その実像を活写する。 [著者紹介・編集担当者より] 江刺昭子(えさし・あきこ) 1942年生まれ。早稲田大学教育学部国語国文科卒。 64年から70年まで文化出版局で『装苑』『ミセス』などの編集に携わったのち、ノンフィクションライター、女性史研究者に。72年、『草饐――評伝大田洋子』(濤書房)で第12回田村俊子賞受賞。81年より日本エディタースクール講師。 主著 『覚めよ女たち――赤瀾会の人びと』(大月書店) 『女のくせに――草分けの女性新聞記者たち』(文化服装学院出版局) 『逗子は 燃えた、そして――池子住民訴訟ノート』(インパクト出版会) 『女の一生を書く――評伝の方法と視点』(日本エディタースクール出版部) 『透谷の妻――石阪美那子の生涯』(同) 『樺美智子――聖少女伝説』(文藝春秋)など。 1960年代は、まだ道路も完全に舗装されておらず、風が吹けば砂ぼこりが舞うような状態だったという。屋根裏ではネズミが走り回ることも多かったとか。そんな時代に『ミセス』という雑誌が創刊されたことは、当時の女性たちに新鮮な驚きをもって歓迎されたことだろう。 T章では、1960年春に新雑誌スタッフとして文化出版局に就職した人々や取次先の話から『ミセス』創刊までの苦難をたどる。AB判、無線綴じなど新しい手法を取り入れ、「高級で上品な朝の雑誌」をコンセプトに、皇室とセックスと芸能を扱わないと宣言し、たちまち60万部もの雑誌に成長させたことは見事としかいいようがない。 U章では、名編集者と謳われた今井田勲の生涯を追う。鹿児島県種子島の貧乏な家庭で育った文学少年が、主婦の友社、出征を経て、混乱する戦後の出版界をのぼりつめていく様を活写。さらに、女たらしでもあった彼のパートナーたちの姿も描く。 『ミセス』の元編集者である著者が、ときに親愛の情をもって、ときに少しの皮肉を込めて、当時の上司である編集長・今井田勲の生き様を描き現在に蘇らせたのは、彼が、亡くなったあとも変わらず“人たらし”であり続けていることの証だといえるかもしれない。 【目次】 序章 雑誌の時代が始まった T章 60年代は「ミセス」色 一 1960年、それぞれの春 二 創刊までの道のり 三 高級で、上品な、朝の雑誌 四 主婦のライフスタイルを変えた 五 「ミセスの時代」を支えたスタッフ U章 最初のファッションジャーナリスト 一 文学少年から編集者へ 二 今井田勲という人 三 ファッション界のボス 終章 『ミセス』とわたし |
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