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古都に、消える。 |
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装幀 大森裕二 |
親父へ 本当に申し訳ありません。 もうそれしか言えることがありません。 親父の事は好きだったし、今でもそれはかわりません。 でもあなたと会うことを考えると本当に頭がどうにかなってしまいそうです。 罪悪感なのか後悔なのかは分からないのですが、本当に死んでしまいたくなるのです。 前回、「生きたいか」と聞いてもらって「はい」と答えたと思いますが、今はもう分かりません。 生きたいかは分かりませんが、それでも目の前の苦しみからは逃げ出してしまいたくなるのです。 なさけない息子で申し訳ありません。 走り書きの手紙を残して大学生の息子が失踪する10カ月前、“私”は彼とともに黄泉平坂に潜った。 離婚後に息子と月に一度会うことで彼との絆をつないできた著者は、彼の中に、また自己の中に、祖父であり父である映画監督の前田憲二氏の放浪と遊蕩を好む血を見る。 「私たちに探されることが、彼の意識が最も求めていないことであるはずだから」。そう決意した著者は、彼の身を案じながらも古墳に潜り、自己の生の証としての古墳のあり方や、薩摩藩の古物好きとして知られる税所篤の生き方を通して、家族の物語を見いだしていく――。 【著者紹介・担当編集者より】 前田 潤(マエダ・ジュン) 1966年、東京生まれ。早稲田大学卒業。立教大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得満期退学。博士(文学)。専攻は日本近代文学。 現在、聖学院大学、予備校等の兼任講師。主要論文に、「捕獲・介入・現前―漱石のいない写真―」(『日本近代文学』第73集、2005年)、「仏教─「孤独地獄」に始まる自己形象化の試み─」(『国文学解釈と鑑賞』別冊『芥川龍之介 その知的空間』、至文堂、2004年)などがある。著書に『地震と文学 災厄と共に生きていくための文学史』(笠間書院、2016年)、『漱石のいない写真』(現代書館、2019年)がある。 著者が一人息子の突然の失踪を機に自身を見つめ、親子や血縁に思いを巡らせる物語です。 映画監督として遺跡を撮り続けた前田憲二さんを父親にもつ著者は、その影響で古代にのめりこんでいきます。自己の淵源を古墳に求める一方で、一人の人間として人生を振り返る。古墳の壮大さと一家族にまつわる因縁との対比に、運命に振り回される人間の存在を考えさせられます。 【目次】 第一章 血脈 第二章 失踪 第三章 箸墓 第四章 盗掘 第五章 別離 第六章 出雲 |
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