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田原藩 |
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装幀 伊藤滋章(基本デザイン・中山銀士) |
かつて海運の要衝として栄えた田原藩は、徳川家が信頼する戸田氏、続いて三宅氏が入り、幕末まで続いた。東京永田町にある三宅坂は、三宅氏の屋敷がそこにあったことから名づけられたという。 徳川家に重用されていたが、そのために田原藩は財政難に苦しんだ。石高が1万2千石に過ぎないのに、10万石の付き合いをしなければならなかったからだ。また海運の要衝であるために、難破船への対応にも追われた。幕末に異国船が沿岸に出没するようになると、海防にも力を注ぐ。 こうした難題を抱えた幕末期に藩政の舵取りをした家老・渡辺崋山は、絵を西洋の学問に通じ、現在国宝に指定されている鷹見泉石像を描いた天才画家でもあった。幕末維新期の困難な時代を崋山が説いた民尊重の思想で乗り切った田原藩の歴史を、民からの視点も多用して紹介する。 |
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