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第二回 人類はメディアで滅亡する(1) |
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森達也 前回の美奈子さんのメールの中で麻原裁判と和歌山カレー事件裁判については、「どちらも「民意」が「被告人憎し」に流れ、それに乗じて検察が事実認定をおろそかにしているのではないかという印象をもっています」というこの指摘だけで、本質を充分に言いつくしている。一審で死刑が確定するという異例の展開をした麻原裁判については、これまでもさんざんいろいろな媒体で書いているので、今回は和歌山カレー事件についてだけ書きます。
被告人である林眞須美さんは事件への関与を否定し続けているし、物的証拠は何一つない。何といっても被告人がなぜカレー鍋に砒素を入れて四人を殺害せねばならなかったのか、その動機すらまったく解明されていない。すべて状況証拠だけ。推定無罪を大原則とする近代司法のルールから鑑みれば無罪が妥当なのに、(美奈子さんが書くように)法廷が民意の憎悪に便乗して、「疑わしきは罰せず」ではなくて「疑わしきはとりあえず有罪」にして、一審と二審の判決は死刑という展開となっている。
さすがに検察も、これだけで死刑を求刑することは無理だと思ったのか恥ずかしいと思ったのか、23件の類似事実を持ち出してきた。つまり類似の事件が被告人の周辺で過去にこれだけ起きているのだから今回も当然有罪です、という論理。ところが23件のうち19件は、起訴すらされていない。つまり法廷においては噂話と同じレベルとして扱われるべき事案。さらに被告人が関与したとされる6件については、被害者とされた二人(一人は林被告人の夫である健治氏)とも自分が被害者であることを否定して、林被告人の無罪を訴えるという異常な事態になっています。 カレー鍋に入れられた砒素の量は135グラム。ヒ素は耳かき一杯分が致死量だから、カレー鍋の中は高濃度の砒素。カレー鍋というよりほとんど砒素鍋だ。 被告人が砒素を使った保険金詐欺を夫とともに働いていたことは事実で、だからこそ砒素の使い方については精通しているはずなのに、なぜこれほどの分量を入れたのだろう。さらにカレー鍋が置かれたガレージに砒素を持ってくるときに犯人が使ったとされる紙コップは、ガレージに置かれていたゴミ袋から、事件後すぐに発見されている。砒素の怖さと犯罪性を知っているはずの被告人が、特定の誰かを殺害しようとして鍋に砒素を入れたのなら、なぜこんな杜撰なことをしたのだろう。
弁護団はこれらのことから、真犯人は砒素の猛毒性をあまり熟知しておらず、軽い悪戯や嫌がらせのレベルでカレー鍋に砒素を入れたのでは、と推理している。実際にこの近隣では、トイレや庭に殺虫剤として砒素を撒くなど、多くの家庭が砒素を自宅に持っていたらしい。
実はこの地元では、「真犯人はあの人では・・」と多くの人が噂する人がいるらしい。その人はある人に対する嫌がらせのつもりで、事に及んだとの推測だ。断定などもちろんできない。そんなことをしたら僕も今の検察や裁判所と同じレベルだ。でももしもその人が真犯人だとしたら、砒素の猛毒性をよく知らないまま犯行に及んだとして、時効はもう成立している。だから弁護団は自首を呼びかけている。 でもおそらくこの国の多くの人は、そんなことを知らない。平成の毒婦などのキャッチフレーズとともに、あれほどに連日ものすごい量の報道が流された事件だというのに、その後の裁判の経過についてはほとんどの人が関心を向けないし、メディアも断片的にしか報じない。
余談だけど、今僕はヒ素ではなくて砒素と書いているけれど、ほとんどの資料ではヒ素になっている。何でかな。最近の選挙の候補者ポスターみたいだ。太郎をタロウにする必要はないと思うのだけど。
過去に被告人に砒素で殺されかけたとして検察側が証人として採用したIさんは、カレー鍋に砒素が混入されたと警察が正式発表(事件発生からこの日までの8日間、警察は食中毒や青酸中毒などと間違った見込み捜査を展開した。もしも四人に対して適切な治療が初期の段階で施されていたら助かっていたとの説もある)した8月2日から被告人が起訴される12月29日まで、ほとんど警察に囲われていて、8月31日から12月29日までは、金屋町の警察官宿舎で警察官と寝食を共にしていたという。これだけ捜査側とべったりでは、証人の供述の任意性と信用性は認められない。欧米の裁判所ならこれだけでアウトだろう。 他にも被告人がカレー鍋の周囲をうろうろしていたとの目撃者証言がとても不確かなこととか、夫である健治さんが取り調べのときに検察官に「私は林眞須美に毎日のように砒素を飲まされていました。それが逮捕後わかりまして、今では眞須美がとても憎くて、憤りを感じています。くれぐれも眞須美に対しては極刑をお願いします」という文面を書いて署名捺印してくれと依頼されたこととか(出所後に健治さんが明らかにした)、警察と検察のやりかたはあまりにひどい。でもこれまでの一審と二審の判決は死刑。動機がわからないのだから被告人の計画性は立証できない。だから普通は死刑判決を出せない。そこで一審判決は、 「被告人には『死亡する人が出るかもしれないが、それならそれでかまわない』という意味で未必的な殺意にとどまると理解すべきである。しかし、反抗が計画的でないことや殺意が未必的であることを考慮しても、結果の重大性を考えると罪責は重大と言わざるを得ない」 と結論付けた。何のことやらわかる? 不思議の国のアリスのエンディング、お菓子のタルトを盗み食いしたジャックを被告にした裁判で、裁判官のクィーンが、「判決の前に処刑せよと」叫んだ場面を思いだす。
─―――――――――――――――――――― (以下、この回次号に続きます)
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