現代書館

WEBマガジン 10/09/22


第二十回 戦争の記憶と捕鯨(下)

斎藤美奈子


森達也さま

 博物館展示の話をもう少しだけしてもいい?
 じつはこの間、群馬に用事があって、富岡製糸場(日本ではじめての官営工場として教科書にも必ず出てくる工場です)を見てきたのですが、ここの展示にも腑に落ちないものを感じた。
 「イスラエルにとって都合の悪い戦争が、見事にこの展示からは消えている」という話ではないけれど、富岡製糸場の展示からは「負の歴史」がすっぽり欠落しているの。製糸工場といえば「女工哀史」のような過酷な労働を思い浮かべる人が多いと思うけれども(「女工哀史」は綿の紡績工場なので製糸労働とは少し性格がちがうのだけど)、そういう話はいっさいなく、明治5年(1872年)操業当時の女工の待遇がいかによかったか、という話ばかりが強調されている。
 そんなのは当たり前なのね。だって時代がちがうんだから。「女工哀史」的な労働問題が浮上するのは、明治末期から大正にかけてであって、明治5年の話だけしてても歴史の全貌は見えてこない。
 富岡も創業時はともかく、明治26年(1893年)には民間に払い下げられて、その後には待遇改善を求め女工たちのストライキも起こった。「官から民へ」がいやおうもなく労働強化につながる、ひとつの例ともいえるのです。
 ところが、民間に払い下げられた後の歴史は、器械の進化とか経営者の手腕の話とかばかりで、労働者(女工)の視点は皆無。館内ビデオやボランティア・ガイドの説明にいたっては「富岡製糸場では女工哀史みたいなことは、いっさいありませんでした」とまで言いきっている。『教科書が教えない歴史』に書かれていた内容と同じ(笑)。
 富岡製糸場は、世界遺産の国内暫定リストに載って、「めざせ! 世界遺産」でいま必死なんだけど、こんな史観で世界遺産を目指すなよ、と思った次第です。「ナチスのプロパガンダ」展がイスラエルを気にしている、というのはアメリカの経済がユダヤ資本と切っても切れない関係であることを考えればわからないでもないんだけれど(だからオッケーという意味ではないですよ)、富岡はだれに気を使っているんだかわからないのが、また不思議です。

最後、捕鯨について。

「断言するけれど、日本が現状行っている調査捕鯨はあまりにも歪だ。調査と称しながらその調査の対象である生きものを殺す。殺してその肉で利益を得る。しかも調査の結果であるデータはほとんど評価されていない。ならばこれは、調査に名を借りた商業捕鯨だ。ところが実際のところ、遠い南極海まで船団で往復してクジラを取っても収益は折り合わない。鯨肉消費も落ち込んでいる。だから鯨類研究所には、国から毎年5〜10億の補助金が下りている。過去20年間にわたり、合計100億円以上の税金が投入されていることになる」

なるほど、そういうことでしたか。
だけど、森君の主張をわかりにくくしているのは「調査の対象である生きものを殺す。殺してその肉で利益を得る」の部分ではないでしょうか。「調査に名を借りた商業捕鯨だ」ということはわかる(誰が見たってそれはわかるよね)。しかし「生きものを殺す」「殺してその肉で利益を得る」というフレーズが入ってくると、またまた宗教論議めいてきませんか。「殺生はよろしくない」という仏教思想、なんでしょうか? 

「国際協調に対してこれほどに積極的なはずの日本が、なぜクジラについては、これほどに意固地になるのだろう。なぜここまでしながら、クジラを食べなくてはならないのだろう」

捕鯨は日本の無形文化財だ、と思っているのではないでしょうか。
クジラの消費量なんて微々たるもので(高価なクジラを年に1度でも食べる人が何人いるでしょうか)、捕鯨が中止されたからといって困る人は、実際問題としては、だれもいない。森君がいうように余剰鯨肉だって出ているわけでしょ。
 それでも死守したいのだとしたら「文化」の問題以外には考えられません。だったら、「調査捕鯨だ」などとゴマ化さず、捕鯨を「重要無形民俗文化財」とか「選定保存技術」とかに指定したらいいんだよね。それで「これは日本の文化なのだ」「伝承技術なのだ」という線で国際社会と争ったらいい。本音はそうしたいんじゃないかしらね。

文化庁の国指定文化財のデータベースを貼っておきます。
http://www.bunka.go.jp/bsys/index.asp

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