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第四十回 原発、あさま山荘事件、そしてオウムを結ぶもの |
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森 達也
斎藤美奈子さま
今回の連合赤軍の記述、先日、新潟日報に書いたことと一部重複します。でもそれだけ大事なことと思っているので……。
>作者の支配から脱することによって作品(テクスト)は自立性を持ち、はるはかに自由な解 釈が可能になる。バルトはもっと複雑な言い方をしていたと思いますが、ともかく私が文学作品を曲がりにも読む気になったのは、ロラン・バルトを読んで「作者の死」を知ったのがキッカケだったといっても過言ではないです。
ロラン・バルトがそんなことを言っていたとは知らなかった。勉強になります。美奈子さんが言う「作者の支配」から逃れることの意味は、間接的な話法を取得することと同義なのかなと思いました(見当違いだったら以下は無視してください)。 映画祭などで「この作品のテーマは?」などと質問されていつも絶句してしまうと前回に書いたけれど、直接的に自作を語ることの無意味さと危うさを意識下で感知しているからこそ、どうしても生理的な抵抗が湧きあがるのだと思う。 例えば「原発再稼働反対!」は直接的なスローガンであり、当たり前だけど言葉の意味しか伝えない。でも僕は、そんな尖ったメッセージを発すると不安になる。それだけじゃないんだけどな、とぐずぐず補足したくなる。言葉と言葉が織りなす領域に意味を込めたい。感知させたい。してもらいたい。原発再稼働反対をもし主張したいのなら、まったく別の位相から物語を紡ぎたい。例えば今日の夕餉のカレーライスの匂い。スーパーのレジで打ち間違いをして客に謝るバイトの女子高校生の焦燥。夕暮れに群れとなって飛びながら巣へと戻るムクドリたち。そんな要素から原発再稼働反対の思いを紡ぐことができたなら、(それは当然とてもまどろっこしいけれど)きっとより深く、より強く、見たり読んだりする人の胸に届くはず。
映像編集における最もベーシックな論理はモンタージュです。これを要約すれば、いくつかの異なるカットの集積によって新たな意味を発生させること。例えばコーヒーカップを手にする男のバストショットの次に、朝焼けのカットを4秒くらい入れて、空のコーヒーカップのカットを繋げば、男は朝焼けを見つめながらコーヒーを飲んだとのシークエンスが完成する。実際にはカップを傾けてコーヒーを床にこぼしたのかもしれないけれど(飲んでいるカットはない)、誰もそんなことは考えない。 長く映像をやってきたから、僕にはそんな習性が染みついているのかもしれない。まとめたくない。説明したくない。直接的な話法は使いたくない。自作について語りたくない(誰かには語ってほしいけれど)。間接的に表現したい。 つまり暗喩です。メタファー。 映像だけじゃないよね。文章も一緒。例えば美奈子さんの『戦下のレシピ』。糠入りビスケット。魚粉のパン。雑草アラカルト。ドングリ食べたのか。……読みながら、戦争の愚かさや悲惨さやバカバカしさを、読み手に痛切に想起させる。深く抉られる。 しかもこの手法は、読み手を既成のマーケットに狭めない。もしもタイトルが「戦時下の日本人の食糧事情から考察した戦争の愚かさを問う」だったら、手に取る人はあまりにも限定されてしまう。 ただしというかだからこそというかこの手法は、テレビにシンボライズされるマスメディアには馴染みません。それはそうだ。回りくどければ途中でチャンネルを変えられてしまう恐れがある。もっとわかりやすくて内容を端的に伝えるタイトルにせよと、プロデューサーから指示が来る。CM前にナレーションで結論を出せと要求される。テーマがわかりづらいとか何とか修正される。 ……本当にテレビは自ら自分の首を絞め続けていると、つくづく思います。
多くのリビア人がカダフィを支持していたことは事実ですね。メディアがその状況を正しく伝えなかったことも確か。 とはいえ、西側諸国はカダフィが邪魔だからこのような偏向報道をしたのだと断定するのなら、3・11以降のマスメディアは東電や政府と結託して国民に嘘ばかりついているとの批判と同じレベルになるような気がします。 現実はもっと複雑です。報道に常にバイアスがあることは確かだけど、そのバイアスが企業や権力サイドからだけ働いていると見なす史観は、やっぱりちょっと違うと思う。普通に競争原理や多数決のメカニズムが働いている過程で、気がついたらとんでもない事態になっていたということは、意外に多いと思っています。ちょうどナチスが、合法的にデモクラシーを体現しながら、気がついたら第一党になってしまった過程のように。
この5月13日、連合赤軍をテーマにしたシンポジウム「浅間山荘から四十年 当事者が語る連合赤軍」に参加しました。このタイトルにもあるように、連合赤軍といえば普通はあさま山荘を連想しますよね。 でも連合赤軍事件が社会に与えた衝撃の本質は、現場からの生中継の最高視聴率が90%近くを記録したというあさま山荘事件ではなく、その後に明らかになった山岳ベース事件にあると思う。ところが事態があまりに凄惨すぎるため、多くの人々は目をそむけようとする。NHKの「プロジェクトX」で連合赤軍をとりあげたときも、あさま山荘ばかりで山岳ベース事件はほとんど触れなかった(番組のコンセプトとしては仕方がないのかもしれないけれど)。 当時の僕たちは中学三年生。事件直後のメディアの多くは、指導者の位置にいた森恒夫と永田洋子の二人が、異常な支配欲や権勢欲、さらには嫉妬や保身など個人的な欲望を燃料にしながら他のメンバーたちの心身を支配して、互いに殺し合うような異様で閉塞的な状況を作りあげたなどと要約していたと記憶しています。裁判も大筋としては、この構図に合わせるかのように進行したはずです。 それから月日は流れ、二人の指導者はすでにこの世にいない。森は逮捕から一年経たないうちに拘置所で自殺して、死刑判決が確定した永田は、昨年獄死しました。でもこの間に、逮捕された元兵士たちは徐々に出所して、そのうちの何人かは重い口を開き始め、事件の全貌が多くの視点から明らかになりつつある。
なぜ事件は起きたのか。なぜあなたたちは同志への総括を続けたのか。あなたたちが処刑されなかった理由は何なのか。森や永田に対して今は何を思うのか。
これらの質問に対して四人の当事者(二人は革命左派で二人は赤軍派)は、マイクを手に絶句する。あるいは考えこむ。互いに意見が食い違う。必死に記憶を振り絞る。 四人のうちの一人である植垣康博さんによれば、初めての処刑(印旛沼事件)が革命左派によって行われたとき、迷っていた永田洋子は森恒夫に、どう対処すべきかを訊ねたらしい。森は「処刑すべき」と即答し、永田たち革命左派は実践した。ところがその報告を聞いた森は動揺し、側近だった坂東国男に「まさか本当にやるとは……」的なことを口走ったという。 森や永田に支配され一方的に強制されたのではなく、むしろ自分たちが森や永田を相互作用的に追い込んだ要素もあるのかもしれないと語る元兵士たちの言葉は重い。 『A3』を書いた僕としては、まさしくデジャヴ的な証言です。そういえば二カ月ほど前に上祐史浩さんから聞いた話だけど、波野村騒動のときに麻原がトラックで熊本地検に突っ込めと指示をしたとき、そんなことはやめてくださいと上祐さんが言ったら、麻原はほっとしたように「おまえの言うとおりだ」と指示を撤回したとの話を聞きました。「そのときは彼がお風呂に入っていて、自分はガラス戸越しでした。一対一だったから自分も言えたのかもしれない」と上祐さんは言っていたけれど、それはまさしく山岳ベース事件の一連の総括にもいえるわけで、つくづく構造は同じなのだなあと実感します。つまり組織共同体の負のメカニズム。オウムや連合赤軍だけではなく、ナチスやポルポトや大日本帝国にも通じる構造だと思う。あるいは原発神話にも。
壇上でマイクを握りながら、当事者である四人はつらそうでした。彼らは被害者でもあるし加害者でもある。アイスピックで何度も仲間の胸を突き刺している。縛った仲間の腹を内臓破裂するほど蹴ったり殴ったりしている。凍死するまで放置している。 その記憶からは逃げられない。だからじっと俯いている。唇を噛みしめている。でもこの場からは逃げない。沈黙しない。必死に記憶をたどっている。言葉を紡ごうとしている。要約しない。まとめない。 そんな光景を眺めながら、地下鉄サリン事件から40年が過ぎた2035年に、このようなシンポジウムが行われるだろうかと考えました。おそらく、というか間違いなく無理ですね。だってオウムの場合は、主要な事件の当事者のほとんどに対して、死刑判決が下されているのだから。精神が崩壊したまま被告席に座らせられ続けた麻原も含めて、質問に答えられる人がいない。 とても屈折した言いかただけど、連赤がうらやましい。そんなことを思いながら、会場を後にしました。
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