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web掲示板談話 斎藤美奈子・森達也 第二回 |
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[床屋談義のつづきです]
斎藤美奈子
「ならば「譲渡する」ことも一つの選択だ。」というのは、いかにも森達也がいいそうなことだなあ。 〈無用な諍いや争いを回避するためならば、少しばかり領土や領海が小さくなってもかまわない。弱腰と呼びたいのなら呼ぶがよい。(略)もしもそんな判断をこの国が示せるならば、僕はそのとき本気で、この国に生まれたことを「誇り」に思う〉 わかるけど、こういうのは、「火に油をそそぐ」というのではないだろうか。みんなの神経を逆なでして、かえってナショナリズムに駆り立ててるようなものですよ(笑)。(と、こういうところで(笑)を入れるのは、あなたは嫌いなんだよね。でも入れちゃう)。 そりゃ非難囂々にもなりますでしょう。 とはいえ私にも似たような経験があります。 10年くらい前、北方領土問題をめぐって鈴木宗男議員が窮地に立たされたことがあったでしょう。ムネオハウスが話題になり、宗男の側近だった佐藤優氏が逮捕されたときです。 詳しいことは忘れましたが、北方領土問題について四島一括返還という方針をとってきた日本政府に対し、彼らは二島先行返還を進めている、というのに近いスタンスだったように記憶します。 それにからんだ婦人雑誌の原稿で「ムネオ、たまにはいいこと言うじゃないか」みたいなことを書いたんだよね。北方四島をいまさら返還してもらったところで、日本にたいしたメリットがあるとも思えない、とかも書いたと思う(この原稿は本になっているので調べればいいんですが、本が見つからない。あとで調べてみます)。
そうしたら、保守系のベテラン女性論客から、対談のオファーが来たの。「あなたは何をいってるの。ぜひ意見を戦わせましょう」みたいなことだったのだろうと思う(私はときどきそういうことがあるのです。保守オバサマに好かれているようだ(笑))。 このような場合、森君だと、きっと受けて立つんだよね。ところが、私は無用な衝突は避けたい「弱腰外交」の平和主義者なので、対談は丁重にご辞退しました。しましたが、そのときに感じたのは、領土問題は、こんなにも人を奮い立たせるのか、ということでした。保守系論者の逆鱗にふれそうなことは、もっといろいろ書いているはずなんだけど。
で、竹島と尖閣諸島です。貴君おすすめの豊下楢彦「『尖閣購入』問題の陥穽」(『世界』8月号)をはじめ、領土問題関係の本を何冊か読んで、ようやく私もこの問題の端緒にたどりついたところですが、外交のリアリズムとしては、主権を主張しあわず「そっとしておく」「棚上げしておく」のが、平和を保つための賢い知恵なのではないか、ということです。 〈メディアはそうした多面性を伝えなければならないし、日本人としても抑制的に行動すべきだ〉というのは、まったくその通りだと思います。その伝でいけば、「我が国固有の領土である」とわざわざ言う必要も、「譲渡する」と言う必要もないと思うんだよ。まして北方領土とちがい、竹島も尖閣も無人島なんだしさ。 以下は、直近の『DAYS JAPAN』(10月号)に書いた原稿の一部抜粋です。
………………………………………………………………………… 領土問題の裏でうごめくキケンな人びと
竹島と尖閣諸島にからんで日中韓の周辺が騒がしい。領土問題も重要かもしれないが、原発問題ひとつ解決していないこの時期になにも「いま」でなくたって、と思った人は多かったのではあるまいか。 まず竹島(韓国名は独島)。韓国の李明博(イ・ミョンバク)大統領が竹島に上陸したのは8月10日。大統領が急に対日強硬姿勢に転じたのは国内向けのパフォーマンスだとの声がもっぱらだ。12月の大統領選を前に、李政権は支持率の低迷にあえいでいる。「窮鼠猫を噛む」なのか「最後の一花」なのか。個人の人気回復のために、ったく余計なことをしてくれたものである。 では、尖閣諸島(中国名は釣魚諸島)はどうだろう。石原慎太郎東京都知事がワシントンで「東京都が尖閣諸島を購入する」と発表したのは4月16日だった。しかしなぜ「いま」なのか。 考えられるのは彼もまた人気取りに奔走しているということだろう。東京五輪の誘致に固執するのも、ロンドン五輪後の銀座パレードも、尖閣購入を急にブチあげたのも人気回復のため。「たちあがれ日本」なる新党を立ち上げてはみたものの、求心力の衰えは隠せぬ都知事。「ここらで一発逆転」をねらったのかもしれない。 ただ、それだけだったとは、どうしても思えないのだ。 石原が演説を行ったのは「ヘリテージ財団」というネオコンの牙城みたいなシンクタンクだ。そこで彼は「占領憲法の改正」と「日本の核武装のシミュレーション」とセットで「尖閣諸島の購入」を表明したのである。ここから想像できるのは、石原は米国右派への「お土産」に尖閣問題を使ったのではないかということである。 石原のねらいは国政での実権をにぎることだろう。橋下徹あたりと組んで自身が国政に戻る気なのか、総裁選への出馬が取りざたされている息子の伸晃に将来を託すのか。ともあれ次の総選挙で政権が自民党に戻ると彼は踏んでいる。で、めでたく政権が戻った暁には尖閣問題を政治的な課題として浮上させ、日中の対立をあおる。不安を募らせた世論はオスプレイの配備はもちろん、改憲や核武装へと傾く。これが石原の描いたシナリオではないか? 野田政権が石原の挑発にしぶしぶ乗って「尖閣国有化」へ動きだしたのも「弱腰外交」の批判をかわし、消費増税や原発問題から国民の目をそらす作戦だろう。 内政の失敗を、仮想敵への攻撃でごまかすのは、為政者の常套手段である。頭のおかしい政治家の挑発に乗るは愚の骨頂というものだろう。石原慎太郎だけではない。核武装論者の橋下徹しかり。ここぞとばかりにしゃしゃり出てきた安倍晋三しかり。石原ジュニアしかりである。
………………………………………………………………………… 石原、安倍、石破あたりを見ていると、自民党に政権が戻るのは、非常にやばいのではないかという気がします。民主党もそりゃダメダメだけど、いまの自民の別の意味でもっと危険。橋下徹が新党を立ち上げましたが、血の気の多い自民若手とこんなのが組んだら、集団的自衛権容認、改憲、核武装くらいまで、いっきに進みそうな気がする。 そういえば、最近読んでおもしろかったのは、木村英昭『官邸の一〇〇時間』(岩波書店)です。朝日の連載「プロメテウスの罠」の一部を掘り下げたルポで、原発事故直後の3月11日から15日までの間、官邸内部で何があったかが書かれています。菅直人チームの「過剰な介入」がなかったら、もっとひどいことになっていたかもしれないと戦慄した。でも(だから?)、脱原発を標榜した菅直人はひきずり下ろされた。 政権交代に対する失望感が、日本をよけいおかしな方向に行かせないかと心配です。
と、ここまで書いたところで時間切れ。私は本日から北海道です。仕事ではありませんが、城ではなく、別のものを見てきます。そのご報告はまた改めて。次は床屋談義ではない話を書きたいわ。
………………………………………………………………………… 現代書館(菊地)
斎藤さん、ありがとうございます。
石原父の尖閣発言は<米国右派への「お土産」に尖閣問題を使った>とは卓見ですね。石原子も小泉ほどではないけど、疾走し出すかもしれない。「集団的自衛権容認、改憲、核武装」気がついたら、そうなってるなんてことの無いように、注意したいもの。 斎藤さんも森さんも、護憲派みたいですが、たぶんお二人の部屋の床の下の方に積んである我が社で7月末に出した『阿武隈共和国独立宣言』を、お口直しに読んでみてください。こんな抵抗もあるんですね。だんだん売れてきました。菅原文太さんが過激な帯を書いてくれています。 尖閣や竹島で血を流すことは絶対やめてもらいたい。私も出自が農民なので「一所懸命」は先祖代々言われてる言葉です。でもあの無人島(そうか、竹島は人がすんでるか)に命を懸けるのは勧めない。共同管理にすればいいんですよね。と思っても、国家間の国民凝視のチキンレースでは、言い出せないでしょうけど。斎藤さん、北海道は城じゃないと「食」ですね。いま、一番美味しい時期なんですよね。
………………………………………………………………………… 北海道報告 斎藤美奈子
「北海道は城じゃないと「食」ですね。」 ちがいます(笑)。 北海道で行かなくちゃいけない「日本100名城」の城は3つあるのですが、今度の目的はそれではなく、夕張の炭鉱遺産を見に行くことでした。 鉱山(炭鉱を含む)と近代土木遺産は私にとっては城以上の萌えアイテムで、想像するだけでも頭がボーッとしてくるほどなのですが、鉱山ファンにとって夕張は一種の聖地なのです。札幌から約2時間。夕張石炭博物館は、遠くてもやはり行く価値ありでした。この種の博物館としては、ブツと展示の充実ぶりにおいて日本でいちばんじゃないのかな。お金がかかっている分、こんなことをやっているから財政が破綻するんだよ、ともいえますが。 何より感動したのは、労働者視点で構成されていることで、81年の北炭夕張の落盤事故についても詳細な展示があり、その点、このあいだ世界遺産の国内推薦を通った群馬の富岡製糸場(についてはいつか書きましたよね)の資本家目線視とは大きなちがいでした。 一度目は産業構造の転換で、二度目は観光箱物行政の失敗で、二度も危機におちいった夕張は、近代日本の縮図のように思えます。 ただ、かわいそうことに、『るるぶ』とか『まっぷる』とかの旅行ガイドは、夕張は完全無視なんですよね。最近のはやりはもっぱら富良野で、「北の国から」のロケ地めぐりにばっかりページを費やしている。富良野の五郎の家も札幌の食情報もいいけれど、夕張をもっとアピールして応援してあげなさいよ、と思ってしまいました。 町そのものはさびれていますが、それはどこも似たようなものだし、財政破綻で負のイメージが強くなってしまったとはいえ、観光の立て直しに相当頑張っている印象でした。
『阿武隈共和国独立宣言』、地層のそれほど下ではない場所から発掘しました。読みます。
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