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web掲示板談話 斎藤美奈子・森達也 第八回 |
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件名 :橋下発言にツッコミ
投稿者:斎藤美奈子 2013/5/30
森君の小咄みたいな実話は、さもありなむ(苦笑)ですが、(苦笑)ではすまない怖さがありますね。たしかに今般の若い諸君の「素直さ」は何だろうと思う。でもそれは、ヘイトスピーチを平気でやっちゃうメンタリティと、意外と親和性があるのかもしれません。
これ以上放っておくと、まずいことになりそうなので、ひとまず「ツッコミどころ」満載の橋下「慰安婦」発言について『婦人公論』に書いた原稿の抜粋を送ります。ほんとは安倍首相にも(安倍首相こそ)問題ありありなんだけどね。
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世界中に思わぬ波紋を広げることになった橋下徹大阪市長(「日本維新の会」共同代表)の「慰安婦は必要だった」発言。 ざっと思いつくだけでも、人権意識の欠如(戦時性奴隷を肯定)、女性蔑視(女性を性の道具視)、男性蔑視(男性の性欲は制御不能という神話を追認)、歴史認識の欠落(慰安婦の強制連行はなかったとする説を支持)、韓国への冒涜(元慰安婦の証言を無視)、沖縄への冒涜(沖縄の女性を米兵の道具視)……。 にしても、なぜこんなことになるのだろう。理由のひとつは売買春に対する日本国内の感覚がグローバルスタンダードとズレているためではないかと思う。このような「ズレ」が外交上の問題になった例は過去にも見つかる。
ひとつは1872(明治5)年のマリア・ルース号事件である。 横浜港についたマリア・ルース号というベルー船から、ひとりの中国人が脱出し、船には多数の中国人奴隷が乗せられていると明治政府に救いを求めた。日本側は奴隷貿易は国際条約違反だとして国際裁判に持ち込むが、裁判の過程でペルー側が雇ったイギリス人弁護士に痛いところを突かれたのである。「日本にも娼妓という奴隷が存在しているではないか」 できたばかりでまだ初々しかった(?)明治政府はあわてて「娼妓解放令」を出し、批判を封じた。解放令が出ても実際には効果がなく、娼妓たちが置かれている状況に大きな変化はなかったが、ともあれこれは日本の公娼制度がはじめて国際的な批判にさらされた経験といっていいだろう。
もうひとつは、1945年8月18日、玉音放送のわずか3日後に、日本政府自らが設置した占領軍兵士向けの「特殊慰安施設協会(RAA)」である。 日本人婦女子の純潔を(はっきりいえば占領軍兵士の強姦から)守るという目的の下、性の相手をする女性は「新日本女性求む」「女子事務員募集、年齢18歳以上25歳まで」などの名目で集められた。RAAはしかし、GHQの拒否にあって翌年に廃止された。国営の売春施設を提供しようとして体よく断られたわけだ。米軍司令官に「もっと風俗業を活用してほしい」といった橋本市長にもどこか通じる醜態である。
もちろん日本以外の国々にも売買春はあり、日本だけが責められる筋合いはないという意見もあるだろう。橋下発言を擁護した維新の会の石原慎太郎共同代表がいうように「軍と売春はつきもの」なのも事実である。しかし、軍自らが慰安所の設置や管理に関与したのは旧日本軍とナチス・ドイツ軍だけだったといわれている。 それでなくとも日本の公娼制度は平時でも非人道的だった。江戸期以来、娼妓は「郭」などと呼ばれる遊里に閉じ込められ、行動の自由や廃業の自由を制限された。多くは前借金に縛られ、人身売買に近い形で売られてきた娘たちだった。1957年に売春防止法が施行されるまで状況は基本的に変わらず、日本社会はそれを「必要悪」として容認してきた。80年代には日本人の買春観光ツアーが批判された。現在は外国人女性の性労働が問題視されている。 今日の国際社会の常識では、売買春は基本的に御法度で、まして管理売春はすべて「性奴隷」と見なされる。キリスト教的性規範とカップル文化が根底にはあるにしても「日本の性文化は違うのです」とはいえないだろう。 「河野談話」によって辛うじて保たれていた日本の面子。それを橋下発言は台なしにした。歴史認識の危うさと売買春(性規範)に対する甘さの二つを露呈してしまったわけ。困ったものです。
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