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web掲示板談話 斎藤美奈子・森達也 第三十六回 |
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件名 :イギリスでオウムのシンポジウムに 投稿者:森達也
斎藤美奈子さま
明日(3月12日)からしばらくイギリスに滞在します。マンチェスターとオックスフォード、エジンバラとシェフィールドなどイギリスのいくつかの大学が連携してオウム二十年のシンポジウムを開催することになり、そのメインスピーカーとして招聘されたので。 各大学では「A」や「A2」の上映も行われる。ヨーロッパだけではなくアメリカやオーストラリアなどからも、宗教と暴力、テロと社会などを専門にする研究者が集結すると聞いています。 依頼のメールが届いたのは昨年7月。地下鉄サリン事件から二十年の節目を迎える3月20日に日本にいなくてよいのだろうかと一瞬だけ逡巡したけれど、日本にいてもどうせ意味ある議論は期待できないだろうと考えて承諾しました。
この2月から3月にかけて、いくつか新聞や雑誌などでオウム二十年の寄稿や対談などはしたけれど、やっぱりテレビはダメだね。いくつか特番らしきものを観たけれど、ほとんど観る価値がない。 自分たちが来た道を振り返ることは大切。でもここまでの道筋が正しかったかどうかについて反省や検証をしないのなら、振り返る意味などない。大切なことはオウムの恐怖や不安を再生産することではなく、アレフやひかりの輪がどの程度危険なのか実証することでもなく、オウムによってこの社会がどのように変わったかについての視点です。
先月20日、オウム事件最後の被告とされる高橋克也の裁判に証人として出廷した井上嘉浩は、「地下鉄サリン事件は「『宗教戦争が起こる』とする麻原の予言を成就させるために事件を起こしたと思った」と証言しました。 述語である「起こしたと思った」のニュアンスが今一つわかりづらいけれど(根拠は何かとか今はどう思っているのかとか)、かつて麻原の法廷で自らが証言した「間近に迫った強制捜査をかわすために麻原が専用車のリムジン内で側近たちにサリンをまくことを指示した」を、井上は覆したことになる。 ならばこのリムジン謀議を柱にして共謀共同正犯を成立させた麻原判決は無効ではないかとの視点がメディアから提示されてもよいはずだと思うのだけど、井上のこの証言は報道しても、そこからこうした問題を提起するメディアは(僕の知るかぎりは)まったくない。まあ実のところは、井上がリムジン謀議を自ら否定したことはこれが初めてではないのだけど、これまでもそんな声は聞いたことがない。 そもそも高橋の法廷だけではなく、死刑が確定した多くの信者たちを証人として訊問した平田信や菊地直子の法廷にも、なぜ最大のキーパーソンである麻原を証人として呼ばないのか。そうした疑問も目にしたことはない。 もちろんリムジン謀議が否定されたからといって、麻原が無罪である(指示をしていない)と短絡するつもりはない。「A3」を読んでくれているというか解説まで書いてくれた美奈子にとっては今さらだけど、指示はあったとは思う。ただしその構造は、絶対的な権力を持つ独裁者とこれに絶対服従する側近たちによってなされたとは僕は考えていない。それは漫画だ。子供向けヒーロー漫画に登場する悪の結社。 事件の背景に駆動する麻原と側近たちの関係には、相互作用的な忖度が強く働いていたと僕は推測する。そしてこれは、ナチスドイツやクメール・ルージュ、あるいは大日本帝国の御前会議などにも共通する。つまりとても普遍的な構造だ。 どんな事件や現象にも普遍性と特異性がある。でも大事件であればあるほど、社会は特異性に反応し、メディアもそればかりを強調する。こうして普遍性が抜け落ちて、事件の背景やメカニズムがわからなくなる。オウム事件はその典型だと思う。
そんなことをイギリスで話してきます。過去形ではなく現在進行形。テーマは宗教と暴力。しかも場所がイギリスなのだから、イスラム国への考察も重なるはず。 テレビはダメと冒頭に書いたけれど、NHKがこの小旅行に同行することになりました。オンエアは3月23日のニュースウオッチ9の特集枠の予定。 かつてテレビから排除されて自主製作映画になった「A」の上映が、こうしてニュース枠で報道されるのだから、少なくとも以前とは状況が変わってきた。……そう考えることもできるかな。そう考えることにしよう。とにかく行ってきます。
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