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web掲示板談話 斎藤美奈子・森達也 第五十四回 |
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件名:都知事選をふりかえって 投稿者:斎藤美奈子
森達也さま
2つの選挙が終わりました。参院選に際しての、貴君の「バカな若者は投票に行くな」(というまとめ方は不本意かな)は私も読んだよ。 そうですね。棄権する自由もあるんだよね、いつもは政治教育を避けてるくせに、選挙のときにだけ「投票に行け」っていうのは欺瞞以外の何ものでもないです。
もう都知事選の話は遅すぎるっていう気もしますが(この件にはちょっとコミットしすぎたと思ってる)、いちおう私なりの所感を書いておきます。 ------------------------------------------------------ (1)統一候補選択の経緯について 私は宇都宮さんの政策はいいなあと思っていましたが(100%実現できなくても)、だからといって野党共闘それ自体に反対だったわけではありません。 これは、あくまで客観的な「選択および選択方法」の問題。
Aはこれまで町のことを何年も熱心に研究し、みんなで相談して公約を整え、ボスターも準備して、出馬を待つばかりになっていました。 Bは数日前に立候補を決めたので、町の問題をよく知らず、公約もできていませんでした。でも、Bは町じゅうの有名人でした。 どちらの候補者を選びますか? と、子どもに質問したとしようよ。 あるいは、Bを選びたい人たちがAに対して「あなたがいると票が割れて迷惑なので、立候補は取りやめてくれ」といいました。 B陣営のやり方は民主主義的に見て、正しいと思いますか? と質問してみようよ。 「立候補をやめろと言うのおかしいと思います」と答えた子どもに 「いえ、それはまちがっています。どんなにAが立派でも、選挙は勝てると思った候補者を応援しなければなりません。Bを町長にするためにAは犠牲にならなければならないのです」と教えるの? そういうことです。 ------------------------------------------------------ (2)週刊誌報道への対応について 仮にこの報道内容が事実(かどうかはわかりませんが)だったとしたら、「淫行」というより「セクハラ」に近いよね。 報道がかなり悪意のあるものだったことは確かだし、票の行方にどの程度影響したのかはわからない。この前の段階で、趨勢は決定していた気もする。 でも、このような報道が出てしまった以上、有権者はどうしたって鳥越陣営の対応に注目する。陣営は「事実無根だ」として、週刊誌を告訴した。すなわち、被害者(かもしれない)女性ないしその夫は「うそつき」で、この報道は「ねつぞう」で、100パーセント女性の側が悪い、という判断ですよね。
一般論としていえば、セクハラ事件がなかなか表沙汰にならないのは、このような反応が出るからです。被害者がやっと声をあげても、「事実無根だ」「事実かどうか証明できない」「女性の側の証言だけでは信用できない」といわれる。とりわけ相手が社会的に地位の高い人物だった場合、被害者(かもしれない人物)は決定的に不利な立場に立たされる。 今度の場合も、同じような構図を感じざるをえなかった。 野党統一候補のバックには公党が4つもついている。強力な弁護士もいるし、立派な応援団もいる(この時点で、彼はすでに「強者」だよね)。その人たちがこぞって「事実無根だ=この女はうそつきだ」というスタンスを取った(この件の発覚後も応援演説に立ったのは、そういうことでしょう)。 事実がどうだったかはわからない。しかし、「わからない」以上、両者の言い分はフィフティ・フィフティだと思うんだ。ところが、応援団から出てきたのは「悪質な選挙妨害だ」「こんな週刊誌のデマを信じるのか」「冤罪に手を貸すのか」などの声ばかり。強い味方がいる人はいいよね。みんなに守ってもらえて。他方、一方的に「事実無根=うそつき」呼ばわりされた被害者(かもしれない人物)はどうしたらいいんだろう。
もうひとつ驚いたのは、事実だったとしてそれが何なのだ、という意見が陣営内から出てきたこと。「10年以上前のことを今いうな」「そのくらいの経験は誰にでもある」「キスだけなら問題ない」「20歳なら〈淫行〉ではない」など、セクハラ一般まで容認するような発言が、陣営内から出てきたことには、正直いって唖然とした。 この件は、フェミニズムがこれまで積み上げた議論は何だったのか、と思わせるものだった。白黒はっきりしないセクハラ事案を前にしたとき、私たちはどう考えたらいいのか、どう対処したらいいのか。ジェンダー論の研究者が、いずれきちんと検証し、建設的な見解が出てくることを願っています。 ------------------------------------------------------ (1)と(2)はたぶん同根なんだよね。 大義のためには、個人の人権なんか小事にすぎない、という論理でしょ、それ。 選挙戦のスタート時から終了時まで、野党応援団の「一切の異論は許さない」という鬼気迫る雰囲気は、すごかった。民主主義って、批判も含めたいろんな意見を聞き、議論を重ねるプロセスが欠かせないと思うんだけどね。 時間がなかったから、選挙だったからしょーがない、という理屈は「?」ですね。「有事」なら何でもありっていうのは、「緊急事には人権の停止もやむなし」という緊急事態条項(自民党改憲草案)の思想に通じるところがない? 左翼的(右翼的でもいいんだけど)発想では、集団の利益を優先させるのが正義だっていうのもわかるよ。リベラルが大同団結できないのは、リベラリズムが個人主義に根ざしているからで、そこが弱点だっていうのもわかる。 私もちょっと前までは、「大同団結」派だった。だけど、誰かの人権という「小事」をふみにじりつつ進められる「大義」のための運動は、どこかで必ずゆがみやひずみが出て破綻する。たった一度の選挙のために(とあえていうけど)、もっと大切なものを捨て去ってもいいのだろうか。 そんなことを考えた選挙戦でした。
斎藤美奈子
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