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WEBマガジン 17/05/01


web掲示板談話 斎藤美奈子・森達也 第六十六回

件名:日憂
投稿者:森 達也

 4月29日早朝に北朝鮮がミサイルを発射したとの報道を受けて、JR西日本と東京メトロは各線で一斉に運転を停止した。韓国の通信社である「聯合ニュース」は日本国内のこうした動きに対して、「北朝鮮による初めての挑発でもなく、しかもミサイルは北朝鮮国内に落ちただけ」「日本政府は戦争の恐怖を醸成することに熱を上げている」と伝えたそうだけど、まったく同意する。

 韓国と北朝鮮は現在も戦争当時国であるけれど、韓国で電車が止まるなどありえない。13日午前の参院外交防衛委員会で安倍首相が、「(北朝鮮の弾道ミサイルは)サリンを弾頭につけて着弾させる能力をすでに保有している可能性がある」と発言したことも含めて(その可能性は以前からあった。なぜ今このときにそんなことを言わなくてはならないのか)、日本政府はわかりやすいほど露骨に危機を煽っているのに、これを批判するメディアの報道はとても少ない。特にテレビ。今朝もワイドショーは朝から北朝鮮の脅威一色だ。

 こうした報道を見ながら、ずっと不思議なことがある。もしもミサイルが落ちてきたらとの前置きはほぼすべてに共通しているけれど、実際のミサイルにどの程度の威力があるのか、想定される被害規模について、きちんとした説明を目にすることがほとんどない。
 先週の授業で学生たちに、もしも今この教室の真上から弾道ミサイルが落ちてきたらどの程度の被害規模が予想されるかと質問したら、「御茶ノ水全域が壊滅する」「千代田区が火の海になる」などの答えが返ってきた。現状の弾道ミサイルの積載量はマックスでも通常火薬500キロ。ここから想定すれば、教室にすれば二つ分くらいが壊滅するかもしれないけれど、逆に言えばその程度。少なくともこのビルが崩壊するようなことはないし、千代田区が火の海になるなどありえない(もちろん核兵器や生物兵器は別)と学生たちに説明したけれど、全員が半信半疑の表情だった。

 確かに北朝鮮はソウルに対して「火の海にしてやる」的な常套句をよく使うけれど、言ってみれば街場の喧嘩の「ぶっ殺してやる」に等しいことは韓国市民もよくわかっている。だから冷静さを保つことができる。ところがこれを横で聞いていた日本が、我々はぶっ殺されると逆上してパニックになる。電車を停める。避難訓練を日本各地で行い始める。
 もちろん、被害の規模はどうであれダメージを受けることは確かだし、もしも授業中の教室を直撃したら多くの死傷者が出る。備えは必要だ。ただし備えるためには、受ける被害を冷静に見積もることが前提だ。
 その姿勢や意識がこの国にはほとんどない。政権は支持率上昇と法案を通すため、そしてメディアは視聴率や部数を上げるために、不安や恐怖を煽り続ける。中国古代の杞の国で、天が頭上から落ちてきはしないかと多くの人が心配したとの故事が基になって杞憂という言葉ができたけれど、500年くらい過ぎたら日憂という言葉が一般的になっているかもしれない。

 今朝のニュースでは、海上自衛隊最大級のヘリコプター搭載型護衛艦「いずも」が、稲田防衛相の指示で米軍補給艦を護衛するために横須賀基地を出港したと報じられた。護衛の期間は千葉県の房総半島沖から四国沖まで。
 なぜ防衛庁記者クラブの記者たちは、このレクに対して「一体この海域で、何の脅威からアメリカの船を守るのですか?」「安全保障関連法を既成事実にするための指示なのですか?」と大臣や防衛省に質問しないのだろう。
 そもそも北朝鮮は日本の存在などほとんど眼中にない。もしも日本を狙うのなら、それは日本本土ではなくて米軍基地だ。中国やロシアがしがらみや諸事情で動けず、韓国はリーダーシップが不在ならば、日本は今、北朝鮮とアメリカとの対話を促進することができる唯一のポジションにある。それこそが積極的平和主義だと思うのだけど、それは今の政権には望めない。

 トランプ政権に追従して自らが標的になるような動きをしつつ、国内では危機を煽って開戦前夜のような雰囲気を醸し出すばかり。本当にどうしようもない。

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