現代書館

WEBマガジン 17/08/29


web掲示板談話 斎藤美奈子・森達也 第七十回

件名:Jアラートを嗤う
投稿者:森 達也

美奈子さま

 今からほぼ1時間半前、つまり8月29日今朝6時前後、千葉県と茨城県の県境近くに暮らしている僕は、地域一帯に響く大音量のアナウンスと警戒音で起こされた。周囲はほぼ麦畑と田んぼ。電柱などに据え付けられた市のスピーカーから、「北朝鮮が」とか「ミサイル」などの言葉がきれぎれに聞こえる。枕もとに置いていた携帯電話もアラーム音を響かせ始めた。この地域でこんなことは初めて。さすがに起きてはいけないことが起きたのだろうかとあわててベッドから起きて(一応はかけ言葉です)テレビのスイッチを入れれば、NHKはもちろん民放各局も緊急特番体制で(地上波だけではなくBSもすべてだった)、日本のどこかにミサイルが着弾したのかと本気で思いかけた。

 結果は誰もが知るとおり、弾道ミサイルは日本上空を通過して太平洋に落下した。

 何から突っ込めばいいのだろう。まずは各メディアが一斉にアナウンスした「ミサイルは3つに分離し、いずれも襟裳岬の東約1180キロの太平洋上に落下した」との表現について。「襟裳岬の東」とのフレーズを耳にして僕は一瞬、かなり近くに落下したのかと思ったけれど、1180キロはけっこう長い。地図を見ればわかりやすいけれど、これは「襟裳岬東」ではなくて「北海道(あるいは日本の)東」と言うべきではないだろうか。たぶんミサイルの軌道のちょうど下あたりが襟裳岬ということでこの表現になったと思うのだけど、それと落下地点の表現はまったく意味が違う。
 多くの列車や電車は停まったようだから、通勤に与える影響は相当に大きいだろう。
 首相と官房長官はすぐに囲み取材と記者会見で緊急事態であることを強調した。テレビは盛んに、破片の落下は今のところ確認できていないとアナウンスしていた。日本各地の原発に今のところ異常はないと発表したのは原子力規制庁で、海上保安庁は付近を航行する船舶や航空機に今のところ被害はないと発表した。すべて「今のところ」が常套句のように使われている。いやな言葉だ。安心なんかさせないぞとの無自覚な意識が透けて見える。
 もちろん備えは必要だ。ある程度の緊張も理解する。でも過剰な自衛意識は時として判断を誤らせる。冷静さも必要だ。

 ほとんどの人の意識からは抜け落ちているようだけど、これはミサイル発射実験だ。
 弾頭に火薬は積載されていない。つまり正確にはミサイルではない。ミサイルの先端に装着されているのは、爆薬や核弾頭と同じ質量・容積の模擬弾頭だ。まあ、だからこそ破片の落下を気にするのかもしれないけれど、その確率を危惧するならば、家を出てから車にぶつかったり看板が頭に落ちてきたりすることを気にするほうがよほど現実的だ。迎撃措置はとらなかったと政府は発表したが、もしもそんなことをしたら、それこそ模擬弾頭ミサイルの無数の破片が日本列島に降り注いでいたかもしれない。
新たな兵器だ。ばかばかしい。でもこの大騒ぎの帰結として、安倍政権の支持率はほぼ元通りになるのだろう。

 念のために書くけれど、北朝鮮の行動を追認する気はまったくない。日本の上空を軌道にしたということは、もちろん日本への挑発や恫喝の意味もあるのだろう。本当にどうしようもない国だ。危機意識で凝り固まっている。だからこそ攻撃的になる。でも危機意識という意味合いでは、日本のこの騒ぎ方も常軌を逸している。テレビのニュースでは、「怖かった」「何をするかわからない国だ」「あんな国と話し合いなどできるはずがない」などとカメラの前で語る市民たちの声が紹介されていた。こんなニュースや情報に触れながら多くの人は思う。このままでは攻撃される。だから先に攻撃せよと。つまり北朝鮮を早くやっつけてしまえと。だからもう一度考えるべきだ。これはどの程度に危険なのか。選択肢はいくつあるのか。その帰結はどのように予測できるのか。
 桐生悠々は「関東防空大演習を嗤ふ」と書いて信濃毎日新聞社を追われたけれど、僕も今、Jアラートとこの国を思いきり嗤いたい。僕だけではなく、もっと多くの人が嗤うべきだと思う。

8月29日午前8時16分

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