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web掲示板談話 斎藤美奈子・森達也 第七十九回 |
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件名:「♯Me Too」から「♯With You」へ 投稿者:斎藤美奈子
森 達也 さま
5月も中盤になってしまいました。ごめんなさい、菊地さん!
床屋談義がほんとにしにくい今日この頃です。 森友、加計、日報、南北首脳会談。話題はいろいろあるんだけど、どの話も、ありきたりなことしか思い浮かばず(っていうか、日本の政治はひどすぎる)、どうも筆が進みません。 ただ、この1カ月くらい、なんだかんだで、ずっと考えてたのはセクハラのことだった。4月12日発売の『週刊新潮』が、財務省の福田淳一事務次官が女性記者(後にテレビ朝日の社員と判明)に卑猥な発言を繰り返していたと報じたのがちょうど1カ月前。次官はセクハラを全否定したまま、4月24日に辞任したけど、麻生太郎財務大臣が連日、燃料を投下した(「はめられた」発言とかね)ため、いまも騒動は鎮火していません。
「日本はまだこんな段階なのかい」という落胆と、「しかし、30年前にくらべたら、ずいぶん変わったよね」という気分の両方が、私の中では錯綜してます。 最近は減ったけど、私は自治体の男女共同参画室とかの講演に呼ばれて行くことがあって、そこでの一番のテーマは、セクハラとDVなんだよね。だから、それなりに事例を集め、勉強もしたわけ。この件は感覚が重要なんだけど、感覚だけではダメな部分もあって、「学ぶ」ことがじつは必要(大学で教えてる森君も、研修、受けたでしょ)。 まー、たいしたことじゃないんだよ。内閣府や厚労省、法務省が出してるセクハラ防止用のパンフを読むだけでも「そ、そうだったのか」という発見がある(下にパンフのアドレスを貼っておきます)。
http://www.moj.go.jp/jinkennet/asahikawa/sekuhara.pdf
http://kokoro.mhlw.go.jp/brochure/supporter/files/kigyou01a.pdf
麻生が「セクハラ罪という罪はない」といった通り、刑法に「セクハラ罪」はない。しかし、男女雇用機会均等法11条には「セクシュアルハラスメント防止規定」が定められていて、まったく法的規制がないわけじゃないのね。と書いたら、「セクハラ防止義務を負うのは事業主だけなのだ、デマを流しよって、このバカが」みたいなことも書かれたんだけど、じゃあ刑法にセクハラ罪の規定が入るまでは野放しでいいのか。私がいいたいのは「既存の法律の範囲でも改善できる部分はあるんだから、すぐできることをやれ」ってことなのね。
セクハラに対する知識の多寡は、研修を受けたかどうか、もっといえば年齢に大きく左右される。若い人たちは男女を問わず、わりとよくわかってるし、大学の教員も最近は厳しい研修があるので、まあまあ知っている。問題は「何がセクハラに当たるのか」を知らない人たちで、おおむね50代以上の男性に多い。 この人たちは、「あ、それ、セクハラ」と軽い気持ちで言うだけでも、判で押したように烈火のごとく怒るんだ。「ごめんごめん」ですむことでも、「どこがセクハラだ!」とスゴむから、ことがこじれ、女性の側も言いだしにくくなる。なぜ怒るのかといえば、「オマエは人格破綻者だ」といわれたような、非常に心外な気分になるのでしょうね(福田前次官もきっとそれ)。 しかし、多少の知識があれば、セクハラは予防できることなので、処世術としてでもいいから、ちっとは学べよ、といいたいです。
と同時に「自分は絶対セクハラはしない自信かある」とか言ってる人も、私はどこか信用できない。セクハラやパワハラは、自分も加害者になる可能性をみんなが持っている。特に年齢を重ねると、こっちが「強者」であるケースがままあるわけで、ついつい強い言葉を吐いてしまう私なんか、もービクビクですよ。 福田前次官や麻生財務大臣を糾弾している(リベラル系の)人たちのなかにも、都知事選のときに出てきた鳥越俊太郎候補のセクハラ疑惑に対しては、「はめられた」だの「週刊誌の記事を信用するのか?」だのといって、擁護した人がたくさんいたじゃない? 財務省事務次官ならダメで、都知事選の統一候補ならいいのか。いまさら蒸し返すつもりはないけれど、その整合性はどこにあるのか、と問いたいですよ。
というわけで、共同通信の配信記事として書いたのが以下の原稿です。
「♯MeToo」運動は、男性にこそ参加してほしいよね。「オレは潔癖だ」と言い張るのではなく、「私もかつて、そうとは知らず、こんなセクハラをいたしました。ごめんなさい」という懺悔をする人が増えれば、雰囲気はだいぶ変わるのではないでしょうか。
斎藤美奈子
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「わがこと」として考える ──セクハラをめぐる30年──
森友、加計、日報、セクハラ。四重苦に見舞われて、文字通り四苦八苦の安倍晋三政権。とりわけ財務省の福田淳一前事務次官のセクシュアル・ハラスメント(以下セクハラ)疑惑は思わぬ波紋を広げることになった。 問題がこじれた最大の原因は財務省や麻生太郎財務大臣の初期対応のひどさだが、認識がズレているのは永田町や霞が関だけなのか。この件に建設的な意義を見いだすなら、これまでウヤムヤにされてきたセクハラを「わがこと」としてとらえ直すことだろう。 とかいうと「おいらには関係ねーよ」「だいたい騒ぎすぎなんだよ」と反論する人が必ずいるのだが「騒ぎすぎ」と思ったあなたこそ危ない。 残念ながらこの件に関しては、性別と世代による認識の差が大きい。鈍感なのは、概して50代以上の男性である。 まあ、いたしかたない面もある。性的な冗談をいう、身体にさわる、容姿を話題にする、私生活についてしつこく質問する、酒席で女性を上司の側に座らせる、お酌をさせる……。すべてセクハラに認定される事案だが、男性中心に回ってきたかつての企業社会では当たり前に行われてきた。 しかし、時代は変わったのである。20年前、30年前の発想では、もう社会を渡れない。
ここまで来るにはいくつかの節目があった。 最初の節目は1989年。この年、セクハラを理由とした国内初の民事裁判が起こされ、「セクシュアル・ハラスメント」は新語・流行語大賞にも選ばれた。いわばセクハラ元年である。 2度目の節目は97年。男女雇用機会均等法にセクハラ防止条項(第11条)が盛り込まれ、セクハラ禁止の法的根拠が示された。ただ、世間の反応はまだ鈍かった。 潮目が変わったのは、3度目の節目というべき99年の横山ノック事件からだろう。大阪府知事選に立候補した横山氏が、運動員の女性にわいせつな行為をしたとして告訴され、知事を辞職した事件である。横山氏は民事訴訟で敗訴し、2000年には強制わいせつ罪で有罪判決が下された。 07年、改正均等法が施行され、男性に対するセクハラも禁止対象となると同時に、すべての事業主にセクハラ対策が義務づけられけた。これが4度目の節目で、以降、企業や大学での研修や啓発が急速に進んだ。 それから約10年、セクハラ元年から数えれば約30年。セクハラが悪質な人権侵害であることはようやく認知されつつある。が、それでもまだ日本はセクハラを告発しにくい社会であることを、今度の一件はあぶり出した。私たちはこれからどうすべきなのか。 まず、この機にあなたが所属する組織では十分なセクハラ対策がとられているかどうか調べてほしい。不十分なら即、改善すべし。現行法の範囲での研修だけでも予防効果は期待できる。 次に、この件では誰もが加害者になる可能性があると知ること。私自身も、仕事仲間に「ねえねえ、彼女(彼氏)はいないの?」くらいの質問はしかねないし、セクハラを相談されたら「気にしないほうがいいよ」と応じかねない。こうした小さな対応の積み重ねが風通しを悪くする。 冗談めかした「言葉だけ」でも、社会的制裁が下されることを前次官のケースは示した。 彼の対応が最悪だったのは「あれはセクハラではない」と開き直ったことだろう。加害者の多くは「セクハラの意図はない。軽い気持ちでやっただけだ」と弁明する。問題の根はここにある。セクハラを重い気持ちでやる人はいない。軽い気持ちであらぬ発言や行為に及ぶのは、相手を軽く見ているからなのだ。 つけ加えると、セクハラは男女の人数が不均衡な職場で起きやすい。永田町や霞が関の対応がお粗末なのは、そこが今なお男社会であることと無関係ではないだろう。 「♯MeToo」から「♯WeToo」へ、さらに被害者を孤立させない「♯WithYou」へと運動は広がっている。これを5番目の節目にできるかどうかの分岐点に、私たちは立っているのだ。
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