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web掲示板談話 斎藤美奈子・森達也 第九十一回 |
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件名:珍しく天皇制について 投稿者:斎藤美奈子
森 達也さま
平成から令和への改元なんかに、貴君はまったく感心がないでしょうけれど、明仁天皇の映画を撮りたいといってた貴君が、このタイミングで天皇制をどう考えているかには興味があります。前明仁天皇のリベラル性を、君はけっこう評価してたじゃない?
吉田茂の側近だった白洲次郎の著作(『プリンシプルのない日本』)に、憲法の裏話があってさ、そこに「Symbol」に「象徴」の訳語をあてたのは自分だっていう話が出てくるのね。訳語については侃々諤々の討議をしたが、その意味するところまでは深く考えていなかった、それが今頃になってこれほどの議論になろうとは、みたいな。 これを読んだときには肩透かし感いっぱいで「なんだそりゃ」だったけど、天皇本人は「なんだそりゃ」ではすまない。その伝でいくと、明仁天皇(現上皇)の功績は「象徴天皇」のイメージを具体化させたことでしょうね。昭和天皇のあとを継ぎ、「象徴」の意味を「わがこと」として考えた最初の人物が明仁天皇で、考えた結果が、沖縄をはじめとする戦地への慰霊と、災害の被災地への慰問だった。 その姿が国民の共感と感動を呼び、戦争責任の影がついてまわった昭和天皇とは対照的に、「慰霊の旅」を続けた平成の天皇皇后は「平和のシンボル」になった感すらある(ほんとはそこにも問題はあるんだけど、その話はまたあとで)。
前天皇皇后の平和主義がどれほど奏効したかは、数字にもあらわれています。 共同通信が5月1日、2日に行った世論調査では、天皇制について「今の象徴のままでよい」が80・9%。「象徴ではなく神聖な存在にする」が7・3%、「天皇制は廃止する」は4・8%、「現在より政治的な権限を与える」は4・3%だった。 天皇制廃止論者はいまや5%以下ですよ。「神聖」と「政治権力」を足した天皇の権力拡大論者(11.6%)より少ない。ま〜共産党が天皇即位に対する「賀詞」を表明する時代ですからね。よいか悪いかは別として、平成の30年間を通じて、象徴天皇制は盤石の支持基盤を得た、ということになるんじゃないでしょうか。
ところが、皮肉にも、盤石になった象徴天皇制は現在、創設以来(とはいわないか。神武天皇以来?)最大ともいえる存亡の危機を迎えている。 もちろん理由は「皇位継承者がいない」問題。5%の天皇制廃止論者には「安心しなさいよ」といっておきたいよね。放っておけば、勝手に自然消滅するから、と。 じゃあオマエはどうなんだといわれれば、もともとはやっぱ天皇制廃止論者だった。急進的な廃止論者ではないけれど、なくてもいいじゃん、くらいの感じ。 しかし、その一方で、天皇が一定の機能を果たしているのなら「文化財」として残してもいいような気もしていた。ただし、もし天皇制を存続させたいなら、せめて男系男子に固執するのはやめなさいよ、と。もっとも、この二つには根本的な矛盾があるのよね。
天皇制について、私がもっとも真剣に考えたのは、2005〜06年、小泉内閣の下で皇室典範の改正案が浮上し、女性天皇の是非をめぐる論議がけっこう活発に行われてた頃だった。当時から男系男子の継承にこだわるヤカラは大勢いて(いまよりずっと多かった)、保守系のオピニオン誌などはそりゃあヒートアップしてたけど、少なくとも新聞は、産経以外のほとんど全紙が「女性天皇容認論」を支持してたんだよ。 ところが、この女性天皇の是非論に、いわゆるフェミニストはほとんどまったく参加しなかった。理由は簡単で、差別的な天皇制自体を、日本のフェミニズムは容認していなかったから。うっかり女性天皇容認などと口にしたら、「あなたは天皇制を認めるのかっ」という話になり、袋だたきにあいかねない雰囲気だった。14年前は、廃止論者がまだまだ多かったのだね。 私も心情的には彼女たちに同調しつつ、しかし一方では、ちょうどその頃、冠婚葬祭の本(『冠婚葬祭のひみつ』)を書くのに、婚姻の歴史を調べててさ、すると天皇家の婚姻の風習がどれほど一般庶民の結婚観、家族観に影響を与えていたかに突き当たるわけ。男女差別の元凶は、旧民法の家制度と歩を一にする、天皇家の男子継承制度(皇室典範)にあるんじゃないかと思うほどで、もし天皇家を長子継承にして女性の皇太子や天皇が誕生したら、日本の家族観は確実に変わる、そんな確信もあった。「愛子ちゃんじゃダメなんですか?」ってことですよね。 男女差別の解消か、天皇制の存続か。そのときはマジメに考えた。 まあでも、結局、皇室典範改正案は「紀子さまご懐妊」で立ち消えとなり、翌年、秋篠宮家に男子が誕生して、すべての議論は雲散霧消。ああそうですか、男子誕生がそんなにめでたいですか。東宮家は女子だけで悪うござんしたね。これじゃ雅子妃(当時)が適応障害になるのも当たり前ですよね……そんな感じ。
以来、天皇制の議論に踏み込む気力を失って、私は完全に静観のかまえなんですが、今度の改元で興味深かったのは、天皇制の危機と関連するかたちで「女帝の是非論」が再浮上してきたことです。悠仁親王の誕生時には「よかったよかった」だけだったけど、気がつけば、いずれ彼は「たった一人の皇族」になるかもしれない。さあ、どーする。 そんなの最初からわかってたはずなのよね。 そもそも「側室は認めない」「女帝も認めない」では、皇位継承者の安定供給なんかできないっこないわけで、これは皇室典範の完全な設計ミスというしかない。 結果、現在の日本は、下の二者択一を迫られることになった。 A.女系女子の天皇を認めて、天皇制の延命をはかる。 B.男系男子の現制度を続け、天皇制の自然消滅も受け入れる。 この二択、保守派の人には「究極の選択」だろうけれど、仕方ないでしょう。
ところで、後まわしにした明仁天皇の「慰霊の旅」だけど、これについては、最近先鋭的な意見が目立つ原武史さんが、おもしろいことをいっていた(「米国は皇室に深く入り込んでいる」/5月11日「WEB論座」インタビューは石川智也)。 https://webronza.asahi.com/politics/articles/2019050600003.html 〈上皇明仁は確かに言葉では植民地支配や戦争への反省に踏み込んでいます。でも国外で訪れた激戦地は沖縄、硫黄島、サイパン、パラオ、フィリピンと、1944年以降に日本が米軍と戦い負け続けた島々ばかりです。柳条湖、盧溝橋、南京、武漢、重慶、パールハーバー、コタバルといった、1931年以降に日本軍が軍事行動を起こしたり奇襲攻撃を仕掛けたりした所には行っていないんです。日本の戦争の全体がむしろ隠蔽されていると僕は思っている〉 それともうひとつ、明仁天皇が「アンチ安倍」の護憲派やリベラル派の敬愛を集めていたことについて。 〈内閣や国会を介さずに現在の政治のアンチと天皇がつながるのは、昭和初期の青年将校が抱いた超国家主義の理想に近い。「リベラル」が天皇にそうした権力や権威を期待するのは筋違いも甚だしい〉 「慰霊の旅の行き先」と「青年将校の理想」。改元騒ぎにからんで、このところ天皇制に言及した記事や論考がいつになく多かったけど、この話がいちばん利いたな。一見「非の打ちどころがない象徴天皇」に見えた明仁天皇にも、アキレス腱があった。情緒的な天皇制擁護論者にも、原理原則論に根ざした天皇制廃止論者にも、こういう視点はなかったのではないだろうか。 さあ、徳仁天皇はどうなるのだろう。さっそく安倍首相が新天皇のもとに「内奏」に参じているという不穏なニュースも流れている。「青年将校の理想」もいやだけど、政府が天皇を取り込むのは、まさに大日本帝国そのもので、もっといやです。
斎藤美奈子
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