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web掲示板談話 斎藤美奈子・森達也 第九十四回 |
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件名:開かずのロッカー 投稿者:森 達也
美奈子さま
前回のメール、天皇制改造計画としてとても興味深く読みました。
>その結果が天皇の行動や今後の天皇制に反映されるとなれば、思考停止から多くの人が脱却し、神秘性も減り、ただたんに「ありがたがる」のではなく、存続論も含めた天皇制のありかたを主体的に考えるようになるのではないだろうか。
でもさ、多くの人の思考の停止が解けて神秘性が減ったとき、皇制はもつのかな。万世一系や八百万の神々などの神話的要素が完全に消滅して、つまりヨーロッパの王朝のような位置づけになるのだろうけれど、それはこれまで(正確には明治以降)天皇制の骨格を支えてきた要素を無にしてしまうような気がする。 もちろん、僕はそれでもいいと思います。いいと思うという消極的な立場ではなく、積極的に天皇制はなくしたほうがいいと思う。皇族の人たちは普通に苗字を持ち、選挙権や被選挙権や職業選択や移動の自由も得て、さすがに民間人は無理でも特別公務員くらいの位置に就いてもらうことがいちばんいいと思う。 だってやっぱり天皇制というシステムは危険です。いや制度そのものというよりも、天皇や皇后に対して涙を流しながら手を合わせたり日の丸を振りながら日本国万歳! 天皇陛下万歳! と叫ぶこの国の人たちの意識は危険だと思う。そうした集合的意識があの御前会議を下支えして、最終的にはアジアへの侵略を正当化したのだから。戦後に皇室タブーが原因で起きた事件を具体的にあげながら天皇制について考察する『皇室タブー』(創出版)を読みながらつくづく思うけれど、やはりこの状態は歪です。 テレビディレクター時代、所属していた番組制作会社は、皇室をテーマにした番組の制作を長く続けていました(日曜早朝とかに民放各局でやってるよね)。その制作部のフロアに大きな旧式の開かずのロッカーがあった。中に入っているのは、皇室番組の素材テープです。誰も触れようとしない。極端に言えば見て見ないふり。存在しているけれど不可視の存在。普通はオンエア後しばらくが過ぎれば、その番組のために撮った素材は廃棄されます。でも皇族が映っている素材テープは、怖くて誰も廃棄できない。とはいえ、これらの映像が陽の目を見ることもありえない。だから開かずのロッカー。 やっぱりこれは変だと思う。どこかで無理をしている。誰もが見て見ないふりをしている。この歪な状況が、日本の近現代史に与えた影響は計り知れない。 そもそも象徴制もよくわからない。天皇は日本国と日本国民統合の象徴。国家はまだわかる。でも国民統合の象徴として規定することには無理がある。 ハトはカラスの象徴にはなりえない。平和の象徴になれるのは、この二つが異質な存在だから。つまり天皇が(国家はともかく)国民統合の象徴になるためには、国民とは全く異質な存在にならなければならない。もしも現人神のままだったら、国民統合の象徴になりえたかもしれない。でも敗戦後に昭和天皇は、天皇を現御神とするのは架空の観念であると述べた。俗にいう人間宣言(実際のところは、自分は神ではなく人間だと明確に宣言したわけではないけれど)。ならば天皇は国民と同質になる。それでは象徴性は機能しない。そもそも生きている人を象徴にする理由がわからない。だってそのために国旗や国歌があるのだから。 とにかく相当に無理をしている。そして無理をする理由を、ほとんどの人はわからない。いや無理をしているとの実感もない。そんなシステムは廃棄したほうがいい。そう思います。
でも同時に少なくとも、今の明仁上皇と美智子上皇后を僕は好きです。敬愛という言葉を使ってもいい。これを制度と混濁しているつもりはないです。だから令和の時代になったなら、天皇制は廃止してもいい。いやできることなら廃止したほうがいい。でもたぶん日本人には無理なのだろうな。ならば生前退位や女性の皇位継承を認め、皇族の人権を可能なかぎり尊重する方向に向かうべき。・・・・・・なんだ、結論は美奈子さんと同じになっちゃった。でも本当にそう思います。ただしこうした神格性を剥がす方向は、天皇制のレゾンデートルを縮小する方向と重なるから、今の日本国民は望まないだろうな、とも思います。
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