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WEBマガジン 20/10/26


web掲示板談話 斎藤美奈子・森達也 第108回

件名:神輿がなくなったエンジンは暴走する
投稿者:森 達也

美奈子さま

前回の書簡で美奈子さんは、(菅政権は)不人気で短命に終わると考えていたけれど見通しが甘かったかもしれない、と書いているけれど、見通しが甘かったと思うのは僕も同じ。

安倍晋三という政治リーダーは空白だった。その空白に多くの人たちの願望が流れ込んだ。願望だけじゃない。保身に嫉妬、焦燥や打算、憎悪や優越、人の営みに付随する多くの(そしてどちらかといえばネガティブな)感情が、排水溝に吸い込まれるように流れ込んだ。
つまり第二次安倍政権の7年半の実相は、安倍という空虚な中心点ではなく、周囲に散在している。
ロラン・バルトが言うように皇居が日本の空虚(無意味さ)の中心であるならば、戦後の人間宣言で始まった(歴史的という見方ももちろんできるけれど)空虚さに、首相官邸を中心にした空虚(無意味さ)がさらに重ねられた。
その中心は空白。教養を致命的に持たない。何よりも歴史を知らない。アジア太平洋戦争について、侵略ではなくてアジアを解放するため、と同期当選した田中真紀子に口走るようなレベルの歴史認識だ。以下は2017年に掲載されたAERAの記事。

「歴史認識が違うのよ」。44年生まれの田中氏はそのころ、社会保障の会議の席で、54年生まれの安倍氏とふと交わした「私語」を日記につけている。
 田中氏「日本が敗戦して」
 安倍氏「真紀子さん、今なんて言った?」
 田中氏「敗戦よ」
 安倍氏「あれ終戦なんだけど」
 田中氏「中国や東南アジアへの侵略戦争でしょ」
 安倍氏「違う違う。アジアを解放するために行ったんだ」

要するにネトウヨと同じレベル。だから(多くの人が危惧した)戦前回帰など、実のところできるはずがない。ほぼファンタジー。だからこそ外から思いを重ねやすい。多くの人が自分なりに上書きできる。選挙のたびに彼が頻りに口にした「道半ば」が示すように、アベノミクスの恩恵も憲法改正も社会保障も拉致問題も北方領土も、この国にしぶとく残存する抵抗勢力によって到達しないからこそ、不完全な現状を追認していつかは目標を達成する、という思いを重ねることができる。
この論点もまったく同意。空虚なイデオロギー。政治的なふりをした非政治的な政治性。だからこそ菅政権になったなら、この空虚な神輿がなくなったのだから、もっと実務的な番頭政治が始まるのかと思っていた。
でもやっぱりその見通しは甘かった。神輿がなくなったエンジンはより加速した。しかも剥きだしとなったメカニックには、抑制や後ろめたさや姑息さはない。だって機械だもの。狡猾も打算も含羞もない。予兆は首相就任直後からあった。記者会見で菅首相はこれからの展望を質問されて、「国民のために働く内閣」と答えている。当たり前じゃん。ならばこれまであなたたちは国民のために働いていなかったのか。そもそも政治家のレゾンデートルは何なのか。誰だってそう思うはずだけど、自民党は10月半ばに公開した党のポスター(菅首相の大きな顔写真が配置されている)にも、「国民のために働く。」と大きく掲げている。迷いがない。ためらいがない。やっぱり機械的なのだ。
組閣後の内閣は、支持率を上げるために、携帯電話の料金値下げやデジタル庁の新設や「脱ハンコ」に縦割り行政の改革などを掲げながら、日本学術会議任命拒否と説明拒否や中曽根康弘元首相の合同葬をめぐる弔意表明の要請とか、政権の本質を剥きだしにしている。
駆動部分だから躊躇いがない。総合的・俯瞰的に判断したと公言した数日後には、「名簿は見ていない」とあっさり前言を翻す。言い淀む気配すらない。ためらいも逡巡もない。自著の改訂版から、公文書管理の重要性を説いて「その作成を怠ったことは国民への背信行為」との記述がある章を、まるまるごっそりと削除する。誰が考えても問題視されることは当然なのに、やはり躊躇いや逡巡がない。
安倍政権時代にも空虚であるがゆえに「いくらなんでも」や「さすがにそれは」は(森友加計や桜以外にも)いくらでもあったけれど、それが急激に加速している。でも主権者である国民の大多数はこれを許す。いや忘れる。国民もメディアも、こうした異常な事態に馴れすぎてしまった。

いずれにせよ安倍前首相から臆面や抑制や含羞を外して駆動パーツだけになった菅首相の任期は2021年9月末まで。その後にだれが引き継ぐのか。十分な地均しのもとに三代目空虚なお坊ちゃんがすっかり健康を回復しましたと再び表舞台に現れるのなら、その瞬間に極東の島国を舞台にしたファンタジーは終焉する。自分を主人公だと思っていた騎士や魔法使いたちは反動勢力として駆逐される。
もっともそれはこちらの視点のお話。だって国民の多数はあちらの側にいるのだから。こちらとかあちらとか分断をことさらに煽るような言葉使いはすべきではないと内心は少しだけ思いながらも、もうどうでもいいやとの気分になっている。

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