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web掲示板談話 斎藤美奈子・森達也 第160回 |
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件名:似て非なるもの――ジャーナリズムとドキュメンタリー 投稿者:森 達也
美奈子さま
一週間ほど前、X(旧ツイッター)にこんな投稿をしました。
ずっと考えている。この騒動の最大の問題点は、当事者の伊藤詩織監督だけではなく作品を批判する人と擁護する人の多くが、似て非なるジャンルである(方向が違う)ジャーナリズムとドキュメンタリーを、ひとつのカテゴライズとして語ってしまっていることだ。
説明するまでもないと思うけれど、「この騒動」が示すのは、伊藤詩織監督のドキュメンタリー映画『Black Box Diaries』の公開をめぐる騒動。既に海外では多くの国で公開されていて、3月3日に結果が発表されるアメリカのアカデミー賞長編ドキュメンタリー部門にもノミネートされているけれど、多くの関係者の映像や声を許諾なしに使っていてこのまま公開は許されないとする弁護士たちの記者会見がきっかけとなって、ずっと論争が続いている。 この問題についてはもっと長い論考を月刊創の次号に寄稿したし、同号にはドキュメンタリーの作り手たちとの討論も掲載される予定なので、詳細は省きます。まあでも、趣旨としてはXへの投稿につきます。 問題となっているシーン、ホテルの監視カメラの映像、タクシー運転手の証言、承諾なしに録音していた捜査関係者と弁護士それぞれの電話のやりとり。 僕がもしこの映画の監督ならば、やはり全部使います(使いかたはもう少し考えるけれど)。 つまりドキュメンタリーを作る立場として、僕も同じ業を抱えています。でも伊藤詩織監督は抗議に対して、公益性を優先したと抗弁しているので、それはちょっと違うぞと思っています。 公益性や社会正義を優先順位の上位に置くのなら、それはドキュメンタリーではなくジャーナリズムです。そしてジャーナリズムであるならば、情報提供者は絶対に守らねばならないし、客観性や中立性を(できるかぎり)意識しなくてはならない。 ドキュメンタリーは自己表現です。僕はこれまで、公益性や社会正義などを優先して作品を撮ったことは一度もない。優先順位の上位に置くべきは、自分の主観、感情や思い、です。客観性や中立性など二の次。そもそもそんなものは幻想なのだから。 そんな思いで作ってきたので、伊藤詩織監督のレトリックにはとても危ういものを感じます。そしてまた、これを議論する人たちの多くも、この二つの違いをほとんど理解せぬままに、それぞれの視点で(それはジャーナリズム寄りだったりドキュメンタリー寄りだったりする)論じるので、ずっと噛み合わないまま空中戦になってしまっている。 今のいちばんの懸念は、この論争でドキュメンタリーのありかたについて、「許諾をとらない人の映像は使ってはいけない」とか「隠し撮りはいけない」とかラインを引かれること。つまりポリティカルコレクトの強化。ならばドキュメンタリーは窒息します。いやこれについては、ペンタゴンペーパーズやウオーターゲート事件、沖縄密約問題が示すように、特に権力監視を使命とするジャーナリズムも機能停止します。 まあそんな事態にはならないと思うけれど、ドキュメンタリーにおいてグレイな領域は何よりも重要で、それが損なわれる事態にだけはなってほしくないと切に思います。 とここまでドキュメンタリーの話だったので、最後にこれから公開される予定のチュニジアのドキュメンタリーについて書きます。 タイトルは『Four Daughters フォー・ドーターズ』。監督はカウテール・ベン・ハニア。以下に内容を宣伝チラシから要約します。
カンヌ国際映画祭 最優秀ドキュメンタリー賞受賞作「Four Daughters」。この作品は、チュニジアに住む母オルファと4人の娘たちの衝撃的な実話を描いています。かつて仲の良かった家族は、長女と次女がシリアのイスラム過激派組織に加わり、突如として引き裂かれてしまいます。監督のカウテール・ベン・ハニアは、行方知れずとなった2人の娘たちの姿を、プロの女優たちを起用して再現。彼女たちが過激思想に傾倒していった経緯を、丁寧に掘り下げていきます。母オルファも撮影に参加していますが、あまりにも辛い場面では、代わりにベテラン女優のヘンド・サブリが演じることで、トラウマ的な記憶と向き合うことを可能にしています。現在も母と暮らす3女と4女は、自ら撮影に参加。カメラの前で家族の重要な出来事を再現することで、自分たちの物語を自分たちの言葉で語り直していきます。(以下略)
巨匠アッバス・キアロスタミを筆頭に、マフマルバフとかパナヒとか、イランのドキュメンタリストたちはとても大胆に虚実を融合する。あるいはイスラエルのアヴィ・モグラビとかも、確信犯的にドキュメンタリーに対して世間一般(特に日本はこの傾向が強い)が抱くフレームを破壊する。ファクトかフィクションかなんてどうでもよくなる。やはり監督たちの自己表現なのだと実感できる。 その系譜を継ぐカウテール・ベン・ハニアのこの作品も見事です。リハーサル風景の使いかたはマフマルバフに近いかな。大ヒットするとは思えないけれど、絶対観てほしい一作です。
森 達也
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