現代書館

WEBマガジン 17/04/18


第2回 1−1 ヘンな高校生の「入門」(その1)

黒田龍之助 Web連載 「ぼくたちのロシア語学校」

 
 たどり着いた代々木駅東口の「ミール・ロシア語研究所」は、雑居ビルに2室を借りているだけの、ささやかな学校だった。入口にブザーがついていて、「ご用の方はこのボタンを押して下さい」とある。素直に押してみると、廊下中に響き渡るような大きな音がして、ちょっとドギマギする。
 ドアが開いて、黒いショールを纏った女性が出てきた。
 「はい」
 あ、あの、昨日お電話して、見学するようにいわれまして……。
 「どうぞ」

 この声は問い合わせのとき電話に出た女性に違いない。ということは事務の女性ではなくて、先生ご自身だったのか。推測どおり、彼女が東(あずま)多喜子(たきこ)先生だった。先生に促されて中に入る。狭い室内にはテーブルがロの字型に並べられており、生徒が、4、5人座っていた。ドアから左側の席に座った多喜子先生は、空いている席を指し示し、そこに座って見学するようにいった。わたしは用意しておいた教科書を机に置いて、該当箇所を開きながら授業風景を眺めることにした。

 そのときどのような授業が展開されたのか、残念ながら覚えていない。ただ一つ、生徒が不自然なまでに大声で発音することが印象的だった。教科書をしっかりと手に持って、胸を張って朗々と発音する。声が大きいのは多喜子先生も変わらない。だが先生の発音は不自然ではない。いったいどこが違うのだろう。わたしには不思議で仕方ない。
 これが学習上どれだけ大切なテーマか、当時は想像すらできなかった。
   
    *        *         *

 授業が終わった。生徒たちはバラバラと教室を出ていき、多喜子先生とわたしだけが残る。3月でまだ寒い教室には灯油ストーブが赤々と燃え、慣れない臭いが鼻につく。灯油ストーブといい、多喜子先生の黒いショールといい、ここが1980年代の日本とは到底思えない。ではどこかといえば、ええと、そうだ、ハルピンってこんな所じゃないかな。行ったこともないクセに、そんなことを想像する。
 
 多喜子先生は、わたしにロシア語で質問をした。
 「Как вас зовут?《お名前はなんとおっしゃいますか?》」
  (この先、《 》内は本来ロシア語であることを示す)
 「《黒田といいます》」
 「《黒田さんですね》」
 「《はい。名字が黒田、名前が龍之助です》」

 この辺りは難なく答えることができた。だが、それに続く質問で急に躓くことになる。
 「В каком году вы родились?《あなたは何年に生まれましたか?》」
 生まれた年? これは予想していなかった。
 「《ええと、せんきゅうひゃ……》」
 「《千九百》」
  多喜子先生がわたしの発音を直す。
 「《千九百、ろくじゅ……》」
 「《六十》」
 「《六十、よ……》」
 「《六十四年。もう一度最初からいってください》」
 「《わたしは千九百六十よ……》」
 「《四年》」
 「《……四年に生まれました》」

 Я родился в тысяча девятьсот шестьдесят четвёртом году.
 これがどうしてもいえないのである。先生に助け舟を出してもらって、発音するのがやっと。ボロボロだ。なんとも不甲斐ない。
 
後にロシア語教師になって分かったことなのだが、数詞がきちんと使いこなせるかどうかは、学習者のレベルを判断するときに有効である。外国語の読解では、多くの学習者が数詞を疎かにしている。数字は見れば分かってしまうので、それを外国語でどのように発音し、文法上の形はどうなっているのか確認することがつい疎かになる。頭の中ではそこだけ日本語で再生して、いい加減に先へ進んでしまう。わたしはまさに「いい加減な学習者」だった。
 
 多喜子先生はその後、日本語でいくつか質問して、それからこう仰った。
 「そうですね。やはり入門科からきちんと勉強したほうがいいでしょう。ミールでは音を作ることが大切ですから」
 音を作る?
 いったい何のことだろう?

 だが多喜子先生はわたしの戸惑いに気づくことなく、これから週2回、水曜日と土曜日の午後6時から7時半までの授業に出席すること、さっそく次の水曜日から来るように告げた。
 わたしは混乱して、イマイチ分かっていないこともあったが、とにかく教科書で予習しておくべき個所だけは確認して、その日は家路へ着いたのだった。
 


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