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最終回 ロシア語だけの青春(予告編) |
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黒田龍之助 Web連載 「ぼくたちのロシア語学校」 最終回 ロシア語だけの青春(予告編)
「黒田さん、授業後にちょっと残ってくださるかしら」 東多喜子先生からこのようにいわれたら、たいていバイトの話である。 通訳の仕事は何度も紹介していただいた。ときには手紙などの翻訳ということもあった。 当時のわたしは、ロシア語と関係ある仕事ならなんでもやってみたかったし、お金もいろいろと必要だったから、先生からの「居残り指示」はむしろ嬉しかった。 だが大学三年生が終わろうとしていた春に、先生から紹介された話は、通訳でも翻訳でもなかった。 「実はM物産にロシア語を教えて行ってほしいんですけど」 ロシア語を教える? そのまえに、M物産といいますと、大手町にある、カルガモが通うことで有名な、あの商事会社ですか。 「ええ、そのM物産です。そこの社員3名がソ連に派遣されるのですが、今年の7月からレニングラードで、ロシア語研修を一年ほど受けることが決まっているそうで、その前に基礎を勉強しておきたいというご要望なのです」 なるほど。 その頃はペレストロイカが進み、日本企業でも積極的にソ連へ進出しようという動きが、あちこちにあった。事前にロシア語を学習しておこうという心がけは、決して悪くない。果たして今の企業にもそのような態度があるのか、それとも、何でもかんでも英語で済ませようとするのか。 それにしても意外なバイトである。当時のわたしは22歳だった。それまでにも、英語ならば家庭教師として、近所の中学生や高校生を教えてきた経験はあったが、果たして会社員を教えることなんて、できるのだろうか。 「大丈夫です。ミールで習ったとおりの方法で教えてください」 * * * こうして、わたしの「ミール・ロシア語講師」時代が幕を開けた。これ以降は、ミールで生徒として勉強する一方で、別の曜日には授業を受け持つことになったのである。学びながら教えることは、実にすばらしい経験だった。 だがここから始まる物語は、近刊『ロシア語だけの青春−ミールに通った日々』に譲ることとし、このWeb連載は「生徒として」の物語をもって、終了することにしたい。 2017年4月からのご講読、ありがとうございました。
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