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第3回 1−2 ヘンな高校生の「入門」(その2) |
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黒田龍之助 Web連載 「ぼくたちのロシア語学校」
ミール・ロシア語研究所では、レベル別に「入門科」「予科」「本科」「研究科」のようなクラス分けがされている。わたしは入門科に配属された。ただしはじめからではなく、開講からすでに3カ月近くなるクラスに、途中から編入することになった。初回の授業は教科書の第16課である。
入門科では『標準ロシア語入門』(白水社)を使って学習する。著者は東一夫先生と多喜子先生ご夫妻。つまり市販されているにはいるが、これはミールのための教材といっても過言ではない。わたしは『標準ロシア語入門』をすでに高校1年生のときに購入して、ときどき眺めていた。奥付を確認すれば、1977年発行の第6刷とある。
『標準ロシア語入門』は巻頭のアルファベット、発音、筆記体の練習、巻末の「よみもの」を除くと、本編が全43課ある。中途半端な数字だが、各課は常に4ページ立てで一定となっている。 一つの課は「基本例文」「解説」「応用例文」「単語」「練習問題」からなる。「基本例文」では、その課のポイントとなる文法項目を含んだロシア語例文がいくつか並んでいる。ただし例文はバラバラで、相互に関係ない。一方「応用例文」は文法項目を反映させた対話形式の会話文になっていて、もうすこし内容がある。
第16課の基本例文は次のようなものである。 「音楽会に行きましょう」「今晩、劇場へ行きましょう」「日曜日に郊外へ行きたくありませんか?」「私はサッカー(をやるの)が好きです」「私は映画へ行くところです」「私はよく映画へ行きます」「きょう私はデパートへ行ってきました」「息子はもう歩きます(歩けます)」
学習する文法は前置詞とともに使う対格と、動詞「行く」の定体および不定体である。単語もそれほど難しくはない。「応用例文」にしても同じ。これなら予習も楽勝ではないか。 そう考えた当時のわたしは、何も分かっていなかった。 * * * 授業の初日は午後6時すこし前に学校に到着した。多喜子先生はまだいらっしゃっておらず、生徒たちが何人か狭く暗い廊下で待っている。しばらくすると先生が《こんにちは》といいながら登場した。(この先、《 》内は本来ロシア語であることを示す)。鍵が開けられ、みんな中へ入る。わたしは何故かそこだけぽっかりと空いていた、多喜子先生の右向かいに座った。
挨拶もそこそこに、授業が始まる。多喜子先生はテープレコーダーで、第16課の基本例文を流した。
Пойдёмте на концерт. 《音楽会に行きましょう》
Пойдёмте сегодня вечером в театр. 《今晩、劇場へ行きましょう》
テープにはロシア語だけが吹き込まれている。音声に続いて生徒が一斉に発音する。だが八つの例文のうち、二つ流したところで多喜子先生はテープを巻き戻した。 「では黒田さんから」 どうやら右から順番に当てられるらしい。先輩たちがその席を避けていた理由が分かった。とにかく当たってしまったのだから仕方がない。テープレコーダーからは先ほどと同じ例文が流れ、わたしはそれを一人で発音する。
「《音楽会へ行きましょう》」 うまく発音できたつもりだった。だが多喜子先生はもう一度発音するように促した。わたしは再び、先ほどよりも大きな声で読みあげた。 「《音楽会へ行きましょう》」
ところが二回目もダメらしい。先生は文を分けながら発音を指導した。
「まず《行きましょう》を発音してください」 「《行きましょう》」 「違います。《行きましょう》です」 「《行きましょう》」
「さっきよりはよくなりましたが、まだ正確ではありません。では《音楽会へ》はどうですか」 「《音楽会へ》」 「違います。《音楽会へ》」 「《音楽会へ》」
わたしは先生の発音するとおりに真似ているつもりなのだが、いつまで経っても合格できない。
「黒田さんが発音するのは《音楽会へ》。そうじゃなくて、《音楽会へ》なんです」 さっぱり分からない。
「ウダレーニエが弱いんです!」
ロシア語の単語は音節のどこか1箇所が他に比べて強く、そして少しだけ長めに発音される。これを「ウダレーニエ(ударение)」という。英語風にアクセントということもあるが、とにかくミールではこのウダレーニエを思い切り強調して発音しなければならない。それがひどく難しいのである。
わたしとしては精一杯大きな声で、ウダレーニエも強く発音しているつもりなのだが、多喜子先生はなかなか認めてくれない。二つ目の例文《今晩、劇場へ行きましょう》も似たようなものだった。
「まあ、いいでしょう。それでは次の方」 やっと解放された。やれやれ。わたしに代って、隣に座った女性が、同じところを読む。
「《音楽会へ行きましょう》」
彼女の発音も似たようなものだと思ったのだが、多喜子先生の反応は違った。 「Хорошо! ハラショー!」
Хорошо! は「よい」「上手だ」という意味である。つまり、彼女の発音は一発で及第点がもらえたのだ。 どこが違うのか? わたしは彼女の発音に耳を澄ます。
「《今晩、劇場へ行きましょう》」
確かにウダレーニエが強い。そこだけ声が特に大きくなる。しかもメリハリをつけるためには、ほかのところは軽く発音したほうがいいらしい。これを怠ると、たちまち多喜子先生からダメ出しされる。 他の生徒たちも同じだった。《音楽会へ行きましょう》《今晩、劇場に行きましょう》というたった二つの例文を、ときには一発で合格する人もいるが、ほとんどは細かく注意を受けながら、先生から《ハラショー》をもらうまでくり返し発音する。 誰もがウダレーニエを強くすることを意識しているのが伝わってくる。不自然なまでに大声になるのも当然である。教科書をしっかり手に持って、胸を張って朗々と発音しなければ、多喜子先生から無限にダメ出しされてしまう。そうならないために、みんな真剣そのものだった。
この調子で基本例文も応用例文も、一つひとつ、一人ひとり、丁寧に練習していく。多喜子先生は決して手を抜かない。当然ながら時間がかかる。基本例文と応用例文のすべてを全員が発音するだけで1時間、授業全体の3分の2があっという間に過ぎ去ってしまった。
発音練習が終わると、筆記による単語テストがあったが、こちらは問題なくパス。次は何かと待ち構えていれば、多喜子先生は再びテープを巻き戻した。
「Переведите с русского языка на японский. 《ロシア語から日本語に訳してください》」
つまり口頭による露文和訳である。先ほどと同じ音声が流れ、一文が終わるたびにテープが止められる。トップバッター席に座ってしまったわたしは、最初の文が当てられた。
「音楽会へ行きましょう」
日本語で答えるのがこれほど楽に感じたことはなかった。他の生徒もすらすらと答えていき、間違える人はほとんどいない。各自の発音練習につき合っているうちに、例文が自然と頭に入っていったのだろう。 だが、その次の課題はもうすこし大変だった。
「Переведите с японского языка на русский. 《日本語からロシア語へ訳してください》」
日本語はテープに吹き込まれていないので、多喜子先生ご自身が日本語を読みあげる。それを口頭でロシア語にしなければならない。 「音楽会へ行きましょう」 あれ、なんだっけ?
露文和訳と違い、和文露訳はずっと難しい。先ほどまでイヤというほど発音させられた例文なのに、細かい点があやふやで自信が持てない。それでもなんとか思い出し、
「Пойдёмте на концерт. 《音楽会へ行きましょう》」
無事に答えられてホッとしたのも束の間、多喜子先生から 「《音楽会へ》の部分をもう一度」
どんなときでも発音は疎かにできない。一瞬たりとも気が抜けないのである。例文を正しく覚えていなければ、立ち往生すること間違いなし。そうならないためには家で発音練習をして、さらには例文を暗唱しておくしかない。これが多喜子先生のいう「予習」だったのである。
口頭和文露訳が終わったあとは、その日に習った内容を応用しながら先生の質問に答えたり、生徒同士で会話したりする。最後に次の課の単語だけを発音しておくのだが、初日のわたしにはそんな余裕は残ってなかった。緊張の連続に加え、喉もいくぶん枯れている。とにかく疲れた。 だが同時に、不思議な充実感もあった。 これが外国語を学ぶってことなんだ!
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