現代書館

WEBマガジン 09/09/11


第四回 人類はメディアで滅亡する(3)

森達也

 貴君と呼ばれたのはもしかしたら生まれて初めて。なんか大人になったような気分です。まずは@の返答から。
申し訳ないけれど妙案はないです。というか正確には、制度自体を本気でストップさせようと自分が考えているかどうか、願っているのかどうか、自分でもよくわからない。
このあいだ藤井誠二さんと死刑をテーマに対談しました。犯罪被害者遺族の本をたくさん書いている藤井さんは、死刑については存置を主張しています。で、いろいろ話したのだけど、「この国から死刑を本気で廃止させたいのならロビー的な活動をもっとすべきではないか」的なことを言われました。
そこで考え込んでしまった。ロビー的活動、具体的には政治へのより直接的な働きかけや運動は、たぶん僕はしない。しないというかできない。
理由はいくつかあるけれど、死刑廃止についての僕の本当の心情は、「彼らを殺させたくない」ではなくて「僕は彼らを殺したくない」なのだと思います。つまり博愛主義ではなく、自己中心的に、彼らの命を救いたいと思っている。これでは運動の理念にはならないしするべきじゃない。本気で運動している人たちに対して不遜で失礼です。
結局のところ僕は、書いたり撮ったりすることくらいしかできない。その程度の分であることは忘れてはいけない。自分が依って立つところはその程度なのだということは、しっかりと自覚せねばと思っています。
裁判員制度が始まることによって困るのは自分たちなのだから、ならば困ればいいじゃん、ってどこかで考えている。ならばまた書いたり撮ったりするネタが増えると、きっとどこかで思っている。
とにかくその程度。
ただし死刑制度については、現在死刑囚の友人が何人もいることもあって、心情としてはもう少し複雑です。自己中心であることは確かだけど、裁判員制度がもしも更なる死刑判決を増加させるのなら、これを停めるための策を何か考えようとするかもしれない。

(2)もし自分に名簿登録通知(赤紙ですね要するに)が来たらどうするか。
どうするのだろう。まずは困ります。単純に面倒だから。それでなくても決められた時間に決められた場所に行くことがとても強い強迫観念になるくらい苦手なので、回避しようと躍起になると思います。
友人たちからは、もし万が一通知が来てもおまえはそのあとの面接で落ちると言われています。一説には死刑廃止思想を持つ人は選ばれないとか。でもだとすると、これは明確な思想信条の差別です。とにかく裁判員に選ばれてしまったら、少なくとも守秘義務だけは意地でも守らないと思う。


斎藤美奈子
 
 裁判員制度と死刑制度の問題は(大きな関連性があるとはいえ)分けて考えたほうがいいと思うのですが、まず裁判員制度についていうと、私はこれ、労働者派遣法(の改訂による業種の規制緩和)や後期高齢者医療制度と同じようなことになると思うのね。なんにもわからずにボヤッと導入してしまったけれど、後でフタを開けてみたら「え、こんなこだったのか」と知って、みんながあわてふためくっていう……。

(1)どうやって、問題の多いこの制度自体をストップさせるか。
 そっか、森くんは「制度自体を本気でストップさせようと自分が考えているかどうか、願っているのかどうか、自分でもよくわからない」、死刑とのからみで「もしも更なる死刑判決を増加させるのなら、これを停めるための策を何か考えようとするかもしれない」くらいの感じなわけですね。
 私はさー、こんな制度はともかくないほうがいいとは思うわけよ。とはいえ、5月からスタートすることが決まっている。それでもまだ、本気じゃないだろう……みたいな気が私はしていたのですが、先日の江東区の女性バラバラ殺人事件の裁判では、裁判員制度の導入を見越した検察側の立証方法が話題になった。法廷の大型プロジェクターに「下水道管から発見された被害者の遺体の肉片や骨片の写真を映し出す場面もあった」という風に報道されてたやつですね。結果的に東京地裁は「死刑の選択も考慮すべき事案だが、死刑をもって臨むのは重すぎる」とし、判例にしたがって無期懲役(求刑は死刑)を言いわたしましたけど。
 あれを見て、ああ、裁判員制度、本気でやる気なんだ、と思いました。
 
 すぐに「やめさせる」のは無理かもしれない。ただ、裁判員制度はすべての裁判に適用されるわけではない。だったら「形骸化させる」ことはできるかもしれないな、と。破防法なんかと同じですね。法はあるけど適用はされないっていう。「死刑制度はあるけど執行はされない」のを目指すのと同じかもしれない。
 制度に対する批判が強まったら、事実上の形骸化は可能なんじゃないかと思うんですよ。当面は「せっかく出来た制度だから使ってみる」という風になるとは思いますけど。
 それから死刑制度について。「この国から死刑を本気で廃止させたいのならロビー的な活動をもっとすべきではないか」という藤井誠二さんのご意見は、運動の方法論の問題だから、本質的な問題じゃないよね。
「結局のところ僕は、書いたり撮ったりすることくらいしかできない」っていうのは、森くんや私は、いまんとこ、こういう仕事を選んでしまったんだから、当たり前じゃん(笑)。
 だけれど、そんなの理屈になってないわけよ。それをいうなら「国際基準に照らせばどんな国にも軍隊はあります」「戦争放棄とかいっているのは日本だけです」という話になる。
 じゃあ対案はといわれても困るのだけど、方向性としては「被害者にとっても、社会にとっても、犯人を生かしておくほうが得ですよ」という理屈を、あるいは事例を集めることではないだろうか。現在の死刑存置論者は、それほど深く考えないまま「被害者感情」を金科玉条としているからです。被害者家族は「死刑にして欲しいです」とみんな口にする。でも本当に「みんな」なんだろうか。加害者が死刑に処されたら、被害者家族は本当に晴れ晴れとした気持ちで「救われる」のだろうか。私はそこが疑問なんです。刑を「懲罰」と考えるか「更生の機会」と考えるかという問題ともからんでくるのだと思いますが。

(2)もし自分に名簿登録通知(赤紙ですね要するに)が来たらどうするか。
 私も絶対、こんなのやりたくない。なので「良心的兵役拒否」というか「兵役逃れ」の方法をいろいろと研究した。だから逃れる自信はある。そんなに難しいことじゃありません。候補者名簿に載っても、その後のくじ引きで呼び出されても、要は「辞退事由」が認められればいいわけです。
 いちばん簡単なのは、どんな書類が来ても「放っておく」ことで、そういう人は社会性がないと判断されてあっちからハジかれる。アメリカでは「書類は犬が食べてしまった」が、陪審員逃れの常套句なのだそうです。だったら私はもともと社会性がないから大丈夫だ、大事な書類でもすぐなくすもん。
 もう少しアグレッシブな方法をとるなら、森くんと同じで「私は守秘義務が守れないと思うんですけど、いいですか?」と言ってみようかな、そうすりゃあっちから願い下げたろう、とそう思ってました。

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