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第六回 人類はメディアで滅亡する(5) |
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森達也
8月10〜12日に行われたさいたま地裁の裁判員裁判を、初日から判決まで傍聴しました。全国で二回目の裁判員裁判。このときには、確かにこれが小学校の反省会なのだとしたら、とても整然とした良い反省会として評価されるのだろうとの印象を持ちました。 選出された裁判員たちはみな、とても真摯で前向きで、積極的に法廷に参加しようとの意気込みを感じました。 つまりけちをつけにくい。 でも大切なことは、そもそもの裁判員制度の意味やシステムの妥当性や意義を考えることであり、選出された裁判員たちが真面目で高潔であったかどうかとは関係がない。 それなのにメディアの批判性が裁判員裁判開始と同時に薄まった理由は、メディアにとっては自分たちのマーケットである市民社会の一部がこうして裁判員として参加し始めた以上(そしてその多くが判決後のインタビューで「意義ある体験でした」などと語っているので)、大きな声で批判しづらいとの感覚が、きっと芽生えたのだと思う。 でもメディアの人たちだって、無思考・非論理な人ばかりではない。自分たちが思うように批判の文脈を組み立てられないのなら、誰かに代わりにやってもらうための場を提供しておこうと考える。 そういうわけで僕も、今回の裁判員裁判を傍聴することができた。依頼してきたのは共同通信。裁判が開かれている三日間は、毎日さいたま地裁の傍聴席に座って審理を傍聴し、閉廷後は徒歩で5分の共同通信社さいたま支局に寄って原稿を書いた。 で、前回の美奈子さんからの疑問だけど、
(1)やりたくない人が裁判員を逃れるのは簡単だ。 最終的な抽選が裁判当日に行われるとは思いませんでした(知らんかったのは 私だけ?)。
については(これは僕も知らなかった)、「いやだったら当日、裁判所に行かなきゃいいんだと思ったですよ(笑)。」はどうなのだろう。高齢であるとか仕事をどうしても休めないとか、それなりの理由は必要なはずだったと思うのだけど。
これ以降の美奈子さんからの疑問 (2)裁判員の構成が偏ったらどうするんだろう。 (3)裁判は広告代理店のプレゼンか。 (4)そして結局、やっぱり厳罰化は進む。 については、共同通信に寄稿した原稿でだいたい触れているので、以下にその原稿(三回分)を引用します。文章が少し優等生過ぎて鼻につくけれど、権威に立てつきながら権威に弱いというサヨクオヤジの典型だと思って寛容してほしい
(以下引用) 1 最初に書かねばならないことだけど、僕は裁判員制度には反対だ。法務省や最高裁は法廷に市民感覚を導入するためと制度創設を説明するが、最近の光市母子殺害事件や和歌山カレー事件を例に挙げるまでもなく、メディアを媒介にして市民感覚は、すでに充分すぎるくらいに法廷に反映されている。 裁判官が市民感覚を持っていないことを認めるのなら、国民に協力を義務づける前に、裁判官の教育や環境改善をすべきだろう。国民の義務という概念を、与えるほうも与えられるほうも、あまりに安易に考えすぎている。 何よりも危惧することは、昨年から始まった被害者遺族参加制度も含めて、わかりやすさを重要視するあまり、法廷が論理よりも感情に支配される場になることだ。 一回目の裁判員裁判の経過や判決の報道を見聞きするかぎり、それらの危惧は、ある程度において的中した。 今回の法廷においても、検察側はパワーポイントを駆使したモニターによるプレゼンテーションを行ったが、弁護側はそんな視覚効果を、いっさい使わなかった。唯一の工夫としては、発言の際に自分の椅子から起立するだけではなく、裁判官や裁判員たちに正面から対峙する証言席の隣の位置に移動して、被告人への情状酌量を訴えたことだろう。 ところが言葉だけで被告人の情状酌量を訴える弁護側は、検察側に決して負けていなかった。6人いる裁判員たちの多くは、弁護人の言葉に、何度も深くうなずいていた。 派手な視覚効果よりも、泥臭い言葉のほうが力を持つ場合がある。これは今後の裁判員裁判を考えるうえで、重要な提起になるかもしれない。 この日の圧巻は、検察側の証人として出廷した被害者男性に対する弁護人からの質問だった。被害者と被告人との関係が、単なる被害と加害の関係だけではなく、もっと複雑で相互加害的な関係であったことが、少しずつ明らかにされてゆく。 終盤で裁判員たちから発せられた質問も、「被告人がなぜこれほどに追い詰められてしまったのか」に関わる質問だったとの印象を持った。 いずれにせよ今回の裁判は、事実関係については争う余地はない。事件直後に自首した被告人は、すべての容疑を認めている。つまり争われるべきは量刑。でもこの量刑こそ、一般の感覚などでは到底決められない。ならば裁判員の意味はどこにあるのか。何を主張すべきなのか。何を判断すべきなのか。 その意味では今回の裁判は、裁判員制度の意味を考えるうえで、きわめて重要な前例になるはずだ。
【以下、本稿次回に続く】
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