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第九回 タヒチ旅行を終えて |
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森達也
タヒチでは新婚旅行の定番であるモーレア島で一日泳ぎ、炎症を起こしながら肩や背中の皮が一皮剥けた。
のんびりはできたけれど、楽しかったとは言い難い。なぜならモーレア島の海岸は遠浅の砂浜で、魚や貝などの生きものがほとんどいない。まったくいないわけじゃないけれど、とても少ない。例外は海底にごろごろ転がっているナマコ。面白味はあまりない。 泳ぐことよりも水中眼鏡で生きものを探したい自分としては、この海は何となく物足りない。もっと珊瑚礁に行くべきだったのかもしれない。そういえば熱帯の海って、陸上でいえば砂漠に近いと何かで読んだ。プランクトンなどが少ないから、生態系がとても貧弱になるらしい。
ここで話は突然変わるけれど、インドネシア沖の海底で、ココナツの殻を道具として使うタコの生態が発見されたという記事が、2009年12月15日の朝日新聞朝刊に載っていた。夜のテレビニュースでも、ココナツを運びながら海底を這うそのタコの映像が、大発見みたいな雰囲気で紹介されていた。以下は時事通信のネット記事。
タコも「道具使用」=ヤシの実の殻、隠れみのに−インドネシアで確認・豪英チーム
12月16日5時10分配信 時事通信 インドネシアのバリ島やスラウェシ島北部の沿岸海域では、マダコ類の一種が、人間が半分に割って捨てたヤシの実の殻を重ね、上に乗るような形で海底を移動したり、危険を感じると殻の一つをかぶって隠れたりすることが分かった。オーストラリア・ビクトリア博物館と英エクセター大の研究チームが、昨年まで約9年間にわたる潜水調査で確認し、16日までに米科学誌カレント・バイオロジーに発表した。
研究チームによると、この行動は、「隠れみの」を普段から持ち歩くという点で、道具の使用に当たる。道具使用は、かつては人間の知能の表れと考えられたが、近年ではチンパンジーやカラス、イルカなども、石や棒、カイメンを餌取りなどに使うことが報告されている。無脊椎(せきつい)動物が道具を使うとの学術報告は今回が初めてという。
次はちょっと長いけれど、この発見についてのナショナル・ジオグラフィックの記事。
(前略) このタコはメジロダコ(学名:Amphioctopus marginatus)という種で、ココナツを運ぶことによって高等動物の仲間入りを果たした。このように道具を使う例は、無脊椎(せきつい)動物としては初の快挙だという。
オーストラリア、メルボルンにあるビクトリア博物館の生物学者ジュリアン・フィン氏が率いる研究チームは、20匹のメジロダコを定期的に観察していた。横幅8センチ程度の自分の体より大きいココナツの殻を、長さ約15センチの触手で運んでいるところが何度も確認されたという。あるメジロダコは半分に割れた2枚のココナツの殻を掘り起こし、隠れ場所が無かったり海底の堆積物の中で休むときに中に入って身を守っていた。
(中略)多くのタコは高い知能を備えていることでよく知られている。迷路に迷い込んでも、まるで抜け目のない牢破りが通って来た道を覚えているかのように振る舞うのだ。
かつては人間だけの特権と考えられていたが、動物も道具を使用するとなればその高度な知能は否定できない。例えばチンパンジーは自ら道具を作って使用するし、一部のイルカは海綿をくわえて魚を捕る。カラスは棒や葉を使って虫の気を引く。
それでも、今回の発見は際立っている。 「イカやタコなどの頭足類が道具を使うなんて考えもしていなかった」と、生物人類学者でロサンゼルスにあるジェーン・グドール研究所(JGRC)の共同責任者を務めるクレイグ・スタンフォードしは語った。 同氏は殻を単なるエサ集めの道具と考えていたが、その予想は裏切られた。「チンパンジーだって自然素材を使って身を守るようなことはしないのにね」。 この研究結果は12月15日発行の「Current Biology」誌に掲載されている。
文中にも「快挙」とあるけれど、とにかくビクトリア博物館の新発見のような扱いだ。時事通信の記事では、「わかった」とか「今回が初めてという」などの記述がある。テレビのニュースでも、やっぱりほぼ同様のニュアンスで報道されていた。使われる語彙は、大発見、新発見、快挙、常識を覆す、などの常套句。ネットではどうだろうと思ってウィキペディアでタコをチェックしたら、さっそく以下の一文が加えられていた。
2009年12月、インドネシア近海にいるメジロタコが、人間が割って捨てたココナツの殻を組み合わせて防御に使っていることがわかり「無脊椎動物の中で道具を使っている初めての例」として報告された。
とにかく新発見的な記述のオンパレード。でもメジロダコのこの生態は、もうずいぶん前から知られている。研究者ではない僕ですら知っていた。一部の人しか知らない情報じゃない。2009年の秋に放送されたNHKの「ダーウィンが来た!生きもの新伝説」でも、海底で拾った壺を常に持ち歩く和歌山県串本の海に棲息するメジロダコの生態が、たっぷりと紹介されていた。
だから不思議。結局のところ発見とか発明とかについては、この程度の正確性しか持ち得ないのが現代なのかもしれない。なぜならメディアがあまりに発達しすぎて、すべてをチェックすることが不可能になったから。もしも世の中に新聞とテレビ(しかも地上波数局のみ)しか存在していないのなら、たぶんこんなことにはならないはずだ。
ここからアントニオ・ホドリコ・ノゲイラがグラウンドに持ち込むように(わからなかったらゴメン)、メディア・リテラシーの話にすることも可能だけど、でも今はそれよりも、タコの凄さについて書きたい。畑の大根を掘るとか缶の蓋を開けるとか(これは実話)、前々からとても気になっていた生きものです。たぶん「虫愛ずる姫」である美奈子さんは、タコに興味ありますか?
実は今、イイダコを観賞魚としてブリーディングするという事業を考えている。海生としてはフグやらクラゲやらがブームの時期があったけれど、タコは圧倒的に賢いし、圧倒的に丈夫だ。マダコやミズダコは水槽で飼育するには大きすぎるけれど、イイダコは15センチ前後しかないし、個体数も多い。絶対に飼育に向いていると思う。誰か事業資金を出してくれないかな。ここに書いちゃうと誰かに先を越されてしまうことが心配だけど。
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