現代書館

WEBマガジン 10/08/03


第十八回 「善意」と被害者意識の共有とは 

森達也


斎藤美奈子 様

─そんなに「抑止力」が重要だというなら、普天間飛行場は茨城空港か静岡空港にもっていけばいいんだよ。だって日本には99もの飛行場があって、その9割は赤字なわけでしょう。だったらそのどこでも代替地になりうるじゃない。民間機の騒音ならよくて米軍の訓練機はイヤだなんて理屈は通らないんだから、全国の地方自治体の長は(住民も)「ぜひわが○○空港に」と名乗り出ればいいじゃないのよぉ─

本当にそうですね。でも理は通らない。大きな声ばかりが通る。教えている大学で選挙後、「最近の報道についての違和感は?」と訊いたら、10人中8人くらいの学生が、「なぜ沖縄の基地問題が急に焦点から消えて消費税一色になったのか腑に落ちない」と答えていた。

口蹄疫問題について、「なぜこれほど無感覚に牛や豚を殺せるのか」との前回の僕の意見に対して、美奈子さんは、

─ただまあ、「殺処分の前に考えること」はあるとしても、「あまりに無感覚になりすぎて」はいないと思うけど、だれも(みんな、心くらいは痛めているでしょう)─

と返信してきたけれど、この「心くらいは痛めているでしょう」との認識が、いろんな意味で問題なのだと僕は思う(決して喧嘩を売るつもりはないからね)。
 
つまり善意。心を痛めながら牛や豚を殺す。あるいは「誰もが心を痛めながら殺しているはずだ」と思い込む。当時は新聞やテレビでも、多くの畜産農家がつらい思いをしながら牛や豚を殺している様子が報道された。これらのニュースを見たり聞いたりしながら、僕らは思う。なんという悲劇なのだ。なんとつらいことなのだ。
でも冷静に考えれば、なんか変だ。だって殺されている牛や豚は(種牛や豚は別にして)、そう遠くない未来に、やはり殺されて解体される運命なのだ。
もちろん畜産農家としては、屠場への出荷ではなく中途で(自分たちが)命を奪うことに、強い葛藤や悲嘆があることはわかる。あるいは僕ごときには想像もできないレベルで、彼らはつらい思いをしているのかもしれない。
問題は当事者である彼らの悲嘆や辛さを、非当事者であるこの社会の大多数が、あたかも共有しているかのような気分になることだ。
つまり善意であると同時に被害者意識。メディアによってこの感覚が、社会全体にとても共有されやすくなっている。

……揚げ足取りのような文章に感じられたとしたらごめん。少しこだわりたいところなんだ。なぜならこの善意(被害者意識)の感染が、人類にとっての大きな宿痾なのだとつくづく思っているから。

この5月末にNHK−BSの仕事でワシントンDCに行ったことは前回に書いたけれど、ロケの合間にホロコースト・ミュージアムを訪ねました。ちょうどこのときは、「ナチスのプロパガンダ」をテーマにした企画展をやっていた。
第一次世界大戦に勝利したイギリスやフランスなどの連合国側は、敗戦国であるドイツにヴェルサイユ条約を突きつけて、莫大な賠償金や国土割譲を要求した。意図としてはドイツの国力を弱めて二度と戦争ができない国にするためだったけれど(つまり抑止力の発動)、結果的にはこの条約がドイツ国民の民族主義と危機意識を強く刺激して、共産主義者とユダヤ人を仮想敵に設定するナチスドイツに共鳴する過程が、当時のチラシやポスター、映画や新聞記事などを例に挙げながら、とても丁寧に展示されていた。
展示の最後は、「現在の戦争と紛争」をテーマとするコーナーだった。ルワンダやボスニア・ヘルツェゴビナ、ベトナムや朝鮮戦争などの悲惨な写真や説明を眺めながら、何度も続いた中東戦争についての展示が、まったくないことに気がついた(つまりイスラエルにとって都合の悪い戦争が、見事にこの展示からは消えている)。さらに展示の最後は、イランのアフマディネジャド大統領の写真だった。キャプションには「大量虐殺への扇動を許すな」と書かれている。
だからちょっと呆然とした。戦争や虐殺へのプロパガンダをテーマにした展示は、最後の最後にイランを仮想敵とするプロパガンダで終わっていた。
もちろん、ユダヤ人に対しての安易な批判は慎むべきだとは思う。長く欧米社会から差別され、迫害され、最後にはホロコーストで膨大な数の被害者遺族となった彼らの怒りや悲しみは、(非当事者である)僕らが安易に実感できるようなレベルではないはずだ。ユダヤ人であるという理由だけで親や子供を殺され、焼かれ、自らも死の淵まで追い詰められた彼らの慟哭や憎悪を、僕らは共有などできるはずがない。
そんな生易しい悲嘆のはずがない。
でも同時に思う。喚起された被害者意識とシオニズムが融合して建国されたイスラエルは、なぜこれほどに周囲を加害する国になったのかを。ホロコーストによって受けた彼らの傷が、回りまわって今のイラク戦争に連鎖し、テロが蔓延するこの世界になったことを。
……そんなことを考えながらホテルに戻り、部屋のテレビをつけたら、イスラエル軍隊がガザに向かうトルコの支援船を襲撃して9人の民間人を殺害したとのニュースが流れていた。

クジラやイルカに対しての欧米の人たちのヒステリックな保護意識(日本に対するバッシング?)の由来は、正直なところ僕にもよくわからない。かつては彼らもさんざんクジラを捕獲して油を絞っていたから、その贖罪意識もあるのかな。
ただし調査捕鯨における日本のスタンスは、確かにあまりにもひどい。なぜそれほどまでに、と思いたくなる。IWCにおける日本の主張の矛盾や(途上国への票買いなどの)裏工作は、欧米でもかなり大きく報道されている。これが彼らを刺激していることは一因だと思う。
商業捕鯨から撤退した1988年以降、調査捕鯨を名目にして年間1000頭近いクジラを捕獲している日本は、世界で唯一、国際的なクジラ保護区(サンクチュアリ)と決められた南極海で捕鯨を行う国となっている。しかもミンククジラだけではなく、絶滅危惧種であるナガスクジラなども、調査捕鯨船は調査の名のもとに捕獲している。
調査船によって捕獲されたクジラは、巨大な洋上加工船ですぐに解体され、さらに出荷用に冷凍されて箱詰めにされる。この過程だけを見ても、捕鯨を調査目的と称することはあまりに白々しい。日本のこの調査捕鯨によるデータに科学的な価値を認める科学者は、現状において(国内外含めて)ほとんどいない。だから外形的には調査を付託したはずのIWCからも、ほぼ毎年のように調査の見直し勧告を受けている。
この調査捕鯨の管轄官庁は水産庁であり、実施主体は水産庁の外郭団体である財団法人日本鯨類研究所だ。そして実際の捕鯨は共同船舶株式会社が行っている(他に競合他社はない)。つまり水産庁と鯨類研究所と共同船舶によって構築される独占排他的なトラアングル構造。鯨類研究所や共同船舶などが水産庁の有力な天下り先であることも含めて、多くの既得権益保持へのメカニズムがこの背景に働いていることは、誰もが推察できるはずだ。
クジラを捕獲せねばならない理由は、鯨肉の売り上げによって得た約60億円(年間)によって捕鯨経費を賄うような仕組みが、最初からできていたからだ。つまり当初から手段が目的化している。ところが調査捕鯨は、なぜか民主党の事業仕分けの対象にもならなかった。
 「ザ・コーブ」上映中止問題が起きてから、僕はいろいろな資料や文献を読んだ。多くの資料映像も見た。捕鯨反対や賛成それぞれの立場の人にも話を聞いた。
そのうえで断言するけれど、日本が現状行っている調査捕鯨はあまりにも歪だ。調査と称しながらその調査の対象である生きものを殺す。殺してその肉で利益を得る。しかも調査の結果であるデータはほとんど評価されていない。ならばこれは、調査に名を借りた商業捕鯨だ。ところが実際のところ、遠い南極海まで船団で往復してクジラを取っても収益は折り合わない。鯨肉消費も落ち込んでいる。だから鯨類研究所には、国から毎年5〜10億の補助金が下りている。過去20年間にわたり、合計100億円以上の税金が投入されていることになる。
つまり実態としては調査捕鯨ではないし、商業捕鯨としてすら成り立たない(かつての大手捕鯨会社であるニッスイやマルハなどは、すでに商業捕鯨からの撤退を明言している)。
この6月13日、イギリスのサンデータイムス紙に、日本の水産庁がIWC加盟国に対して捕鯨支持のための票買い工作をしているとの記事が掲載された。見出しは「航空券と女性と現金で捕鯨支持票を買収」。さらにAERA6月28日号にも、「捕鯨賛成票買収とODA」なる記事が掲載された。ODAなどを餌に水産庁が途上国を買収していることについては、ほぼ全世界が知っている。そしてあきれている。ところが日本ではほとんど問題にならない。鯨肉は今のところ、需要がまったく追いついていない。莫大な在庫がある。そこで鯨肉販売を担当する共同船舶は、余剰のクジラ肉消費のため、学校給食などへの再導入に力を入れている(今後は自衛隊や刑務所などに卸すとの噂もある)。
だからやっぱり不思議です。国際協調に対してこれほどに積極的なはずの日本が、なぜクジラについては、これほどに意固地になるのだろう。なぜここまでしながら、クジラを食べなくてはならないのだろう。

……今回は長すぎた。本当は美奈子さんの新刊『ふたたび、時事ネタ』にも書かれていた和歌山カレー事件の判決についても触れたかった。たぶんこれについては次回。できればその前に、美奈子さんの和歌山カレー事件判決についての意見を聞いておきたい。

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