現代書館

WEBマガジン 11/03/09


第二十五回 『A3』

森達也さま




遅ればせながら『A3』読みました。

 今度のAは「麻原彰晃のA」である、と規定してはじまる本書。
 いよいよ本格的な評伝かと一瞬思いましたが、最終的には事実をこれと決めつけず、事実らしきものの周囲をうろうろ歩き回っている感じが、いつもの森達也らしいなあと思いました。「森達也らしい」には、いい意味も悪い意味も入っていますが、すでにひとつの確立されたスタイルといっていいでしょう。

 森達也式「一人称ノンフィクション」の特徴は、第一に「主役が書き手である」こと。文章は一人称をはっきりさせるべきだという貴君のことですから、これは意図的に選ばれているのだと思いますが、各章の冒頭はしばしば景色の描写からはじまるし「現場を歩き回っている僕」がいつも出てくるじゃない? このへんは初期の沢木耕太郎を思わせます。

 第二に、インタビュイーのたたずまいとか、しゃべり方とか、顔つきとか、安田弁護士にお好み焼き屋に誘われたエピソードとか、本筋にはあまり関係のない報告や描写が頻出すること。私が取材を受ける側だったら「たまらんなあ」と正直思いましたけど、今般のジャーナリストは取材対象に気をつかって「公式見解」しか書かないから、逆に新鮮でした(昔のルポルタージュはむしろこういう路上徘徊型が多かったかもしれません)。

 第三に、連想ゲーム式の発想がふくらんでいくこと。ナチスドイツや二・二六や文革やクメールルージュなどに連想がふくらまあたりは納得が行きましたけど、『不思議の国のアリス』の引用まで登場してきたのには、驚きました(笑)。

 こういう「僕」中心の書き方は、一見無駄な脱線が多いように見えますし(私がデスクだったら「あんたのことはどうでもいいから削れ」というかもしれない)、情緒過多な印象も与えます。が、「まーた、くだらないこと言っちゃって」と思いながらも、それが推進力となって500ページを超す長さの(しかもけっして軽いとはいえないテーマの)本がぐいぐい読めるのもまた事実です。このへんが「森達也節」なのだろうなと感心いたしました次第です。ノンフィクションというより、現場の臨場感を大切にするドキュメンタリー、という印象を持ちました。


 などと偉そうなことを申しましたが、貴君が知りたいのは、もちろんそんなことではなく中身の感想でしょう。
 ものすごく大きくまとめてしまうと、この本の核となる命題は、主として2つですよね。
 (1)麻原彰晃は、すでに訴訟能力を失っている。なぜそれを誰も問題にしないのか。
 (2)サリン事件はなぜ起きたのか。1990年の衆院選に破れたことが引き金となって、組織が変質し、世界制覇を狙うようになった(ごめん。正確じゃないかもしれないけど)というマスコミが描いた図式で説明できるのか。


 (1)に関しては、貴君からちらっと聞いてはいたものの、やはり衝撃的でした。麻原彰晃は私たちとほぼ同世代です。その彼があのような状態になってしまうのは、やはり尋常ではなく、とても「詐病」とは思えません。逆に、法廷に通い続けているジャーナリストの人たちが、なぜその異常さに気づかないのか(あるいは気づかぬふりをし続けるのか)。なぜ精神鑑定が行われないまま、死刑判決が確定してしまったのか。まさに中世の魔女裁判を見るようで、あらためて慄然としました。

 もうひとつ印象に残ったのは、やはり「水俣病」との関連です。
 これはむしろ(2)に関係する事柄だろうと思いますが、水俣病を引き起こしたチッソと、その背景にある国家権力の存在が遠因として加わることで、(もちろん断定は避けなければなりませんが)この事件の見え方が少し広がったように思います。
 サリン事件が起きた原因の、貴君なりに推測(麻原彰晃がレセプター化していった過程、警察と自衛隊の特別警戒が彼らを追い詰めていった過程)も、これまだ読んだものの中では、もっとも納得がいくものでした。
 もしこの通りだとすると、私たち「市民社会」がオウム事件を生んだのだともいえるよね。

 これは非常に重要な知見ではいかと思う。

90年代前半当時のことを思い出してみると、私は(誤解をおそれずにいえば)、圧倒的に「親オウム派」でした。
ワイドショーが「気持ち悪い」というだけの理由で、彼らの行状を悪意たっぷりに伝えているようすに吐き気を覚えていましたね。事件がオウム真理教によるものだったとわかった後の世間の受け止め方は「だから、いわんこっちゃない」「最初から思っていた通りだった」という感じだったと思いますが、私の関心は「何が彼らをそうさせたか」でした。
「A3」でその疑問が少し晴れました。で、晴れてみたら、原因は自分たちに帰ってくるものだった。これを教訓にしない限り、「市民社会」は、これからも間違い続けるのもしれません。
 この本は、ふつうに考えれば、何かのノンフィクションの賞に値するものだと思いますが、おっしゃるように、メディアは黙殺するでしょうね。「早く幕引きがしたい」という気分のメディア関係者にとってはすでにこれは「忘れてしまいたい過去」だから。ただでさえ蒸し返されるのがイヤなところへもってきて、責任の一端は自分たちにもあったなんでいう話は、そりゃ聞きたくないでしょう。それでも「A3」を読む人たちは一定以上はいるでしょうから、伝わる人には伝わるはずです。

とりとめのない感想でごめんなさい。

斎藤美奈子

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