現代書館

WEBマガジン 12/08/14


第四十三回 国会前デモと斜陽館

斎藤美奈子 

森 達也さま

 たいへん遅くなりました。7月10日をすぎました。
 原発ゼロの期間はわずか2ヶ月で終わり、何の安全も担保されていないのに、またあれほど反対の声が大きかったにもかかわらず(6月29日の官邸 前デモは参加者20万人ですよ。警視庁発表では2万人弱でしたが、それっぽっちのわけはない。空撮映像をみるでけでも甲子園球場の観客の数杯分は確実に あった)、大飯原発3号機が再稼働しました。
 国会の事故調査委(黒川清委員長)が福島第一原発の事故にかんする最終報告書を提出したのが7月5日。大飯原発が再稼働したのが7月1日。報告書が出る前にバタバタと再稼働を急いだという印象はどうしても否めません。この報告書のポイントは

 (1)事故は「自然災害ではなく、明らかに人災件だった」」と断定したこと
 (2)重要機器が「津波ではなく地震で壊れた可能性もある」と述べていること
 (3)「事故の根源的原因」として東電と保安院の癒着の構造を指摘したこと

の3点だったと思います。より根源的な問題は(1)と(3)だと思いますが、(2)にしても、津波にたいする対策を原発の再稼働の条件としてきた (それだってちゃんとできていないわけですが)現政権の方針をゆるがすものです。報告書がたとえば6月中に提出されていたら、大飯原発の再稼働はふみとど まらざるをえなかったかもしれません。

 野田政権はこのへんが非常に姑息なんですよね。
 黒川委員長は、記者会見で「提言を一歩一歩、着実に実行し、不断の改革の努力を尽くすことこそ、国民から未来を託された国会議員や国会、国民1 人1人の使命だと確信している」と述べましたが、いまのところ「報告書は報告書」「現実は現実」という別進行のかたちで事態は推移しているし、別進行の状 態が、こんご改善されるとも思えません。
 それと報告書は、首相官邸の「過剰介入で混乱を招いた」という表現で、菅直人前首相の初動対応を批判していますが、メディアがその部分だけを妙に 強調しているのも気になります。初動にも、そりゃ問題はあったかもしれないが、介入するでしょう、それは。菅内閣の責任よりも、もっと重要なのは天災や事 故が起こる可能性を無視してきた、長年にわたる東電と原子力行政そのものなはずなのにね。
 オウム菊地&高橋の逮捕劇も、あるいは消費税国会も、タイミング的に原発再稼働問題から目をそらす目的があったように思えてなりません。

 さて、原発界隈でこういう動きがあった一方で、「床屋談義」方面でも、消費増税国会や小沢新党の立ち上げなど、ゴタゴタした動きが続いています。
 だけど、まったく高揚しない。見るのもイヤ、考えるのもイヤって感じです。
 民主党が政権を奪取してからまもなく丸2年を迎えますが、なんだったんでしょうね、この2年は。野田内閣がやっていることは旧来の自民党政治そのままだし、かといって小沢新党を応援する気にもならない。政権交代時のマニフェストに帰れという主張自体としては正しいとしても、かつての求心力はもう ないでしょう。
 しかし、本当に困ってしまうのは、野田を否定し、小沢を否定して、ではその後はどんな陣営が政権をとるのかっていうことです。元の自民党政権に 戻るのか、あるいは橋下徹とその一派がキャスティングボートを握るのか。いずれにしても、「いまより悪くなる」のは目に見えているように思います。
 
 ……とニュースがらみで書いていますが、こんな話っておもしろい? 
 今日までレスをサボっていたのは、忙しくてなかなか書けなかったという理由もあることはありますが、もうひとつは「何書いたらいいかわからなくなった」のも理由のひとつです。
 どんなときにも、何に対しても問題意識を持ち、怒りを持続させている貴君は偉い!(いや、もしかしたら、あなたも、このやりとりに辟易してるかもしれないけど)

 気分を変えて、少しだけ毒にも薬にもならない話を。 
 6月に仕事があって青森に行きました。で、時間をひねり出し、取材気分で太宰治の出生地である金木(かなぎ)町に行ってみました。斜陽館と呼ばれている生家も、重要文化財指定のすばらしい建物だったのですが(私の目当てはそもそも建物だったのですが)、太宰がすっかり観光資源と化しているのが、 なんともいえずおもしろかった。
 観光バスでどどっと観光客が乗り付けて、斜陽館の近隣の拠点施設には「太宰らーめん」なんてのがあったりする。土産ものの開発も非常に力が入っており、ストラップ、Tシャツのたぐいのグッズはもちろん、「治ちゃん饅頭」とか「生まれて墨ませんべい」とか「如何せんイカせんべい」と名付けられた 「銘菓」が売られているわけね。
 もう少し若い頃だったら、こういうありように私も苦笑したかもしれない。でも、いまは、太宰は死んで故郷に貢献しているのだ、としみじみ思った ことです。私自身は太宰はどうでもいい(とはいわないまでも文学史の一角を占めるだけの)作家なので「へええ」というだけでしたが、太宰ファンはそりゃあ 嬉しかろう。
 津軽半島の観光資源は、太宰のほかには縄文遺跡と遮光土偶(つがる市)で、縄文の次はずーっ時間を飛び越して昭和かい、というのもおもしろかった。

 このところ、ご当地文学(と文学観光)に興味があるので、どこかに出かけた折には、城だけでなく(笑)、文学がらみの名所にもできるだけ偵察に 行くようにしているのですが、岩手の賢治や啄木以上に、津軽の太宰観光は「攻めてる」感が強かった。これに匹敵するのは、松山の「坊っちゃん」観光くらい かもしれない。
 もっとも松山市民が「坊っちゃん」読書率は非常に低いように思われます。松山の坊っちゃん観光では、マドンナは坊っちゃんの彼女扱いですし(ほ んとは「うらなり」の婚約者)、そもそも「坊っちゃん」における松山の描き方はひどいものです。唯一ほめてるのは道後温泉だけという状態なのに、「坊っ ちゃん」にあんなに頼る松山って何?
 金木町の太宰観光は、それにくらべたらずっとましですが、町として関心があるのはやはり『津軽』オンリーで『斜陽』も『人間失格』もすべて無視、という感じでした。
 
 今回は以上で終わり。以下、津軽の写真でお茶を濁しておきます。

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