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web掲示板談話 斎藤美奈子・森達也 第二十三回 |
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件名:ドキュメンタリーと五輪の報道 投稿者:森達也 2014/3/18
斎藤美奈子 様
>たとえば差別的な発言を無責任に巻散らかしてもいいとは、私はやはり思えない。
もちろんもちろん。そんな前提を立ててしまっては、ヘイトスピーチも否定することができなくなる。 言論は自由ではあっても、批判や反対意見は常にセットです。だから発言で明らかになった彼らの思想信条が、NHKの方向性を決めるポジションとしてふさわしくないと批判されることは当たり前。僕が気になるのは、「そのポジションに就いたからにはその発言をすべきではない」的な批判です。ならば(前回の田母神論文騒動の件で書いたように)内部で発酵しながら増殖する。誰もその是非を論じられなくなる。
4月に公開されるドキュメンタリー映画「パンドラの約束」は、原発推進映画と称されています。 このあいだそのコメントを配給会社に求められました。一緒に送られた資料には、サンダンス映画祭で上映されたとき、原発反対派の8割が支持に変わったと書かれていた。へえそれはすごい。ならばぜひ観たい。そう思って観た。2月には自民党の電力安定供給推進議員連盟が試写会を主宰して、上映後には拍手がわいて大評判になったらしい。 結果としては観てあきれた。新しい論点などどこにもない。結論から逆算して要素を嵌め込む最もダメなドキュメンタリー。結果としてコメントはボツにされたので、以下にペーストします。
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原発賛成の論理を知りたかった。説得されてもいい。そう思いながら観た。そしてあきれた。杜撰で強引な展開。曖昧なデータ引用。まったく説得などされない。逆にあきれるばかりだ。だからこそ推進派も反対派も観たほうがいい。 原発推進の論理がいかに脆弱で詭弁でご都合主義であるかがよくわかる。この映画の価値はそこにしかない。
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これは本音。数年前にドキュメンタリー映画「靖国」や「ザ・コーブ」に対して一部の考えの浅い人たちが反日映画だとかの理由で上映反対運動を起こしたけれど(考えたらこうした動きが今のヘイトスピーチなどに繋がっている)、思想信条が違うからといって(念を押すけれどヘイトスピーチなど差別的な言質は論外)、絶対に封殺すべきではない。それは今回も一緒。観た(読んだ)うえで批判する。だから僕は「永遠のゼロ」を批判しない。したくでもできないし、読んだり見たりする気にはなれない。 それともうひとつ。籾井勝人NHK会長以外にもアメリカ政府を批判する映像を動画サイトに投稿した衛藤晟一首相補佐官など、発言が問題になれば個人的な発言とか個人的に思想信条を表明しただけ的なエクスキューズが当たり前のように使われているけれど、ならば個人的ではない思想信条とは何ですか? と訊き返さなくてはならない。個人的な発言だとしても(あるいは個人的な発言だから)大きな問題なのだ。この理屈で免罪できるなら、世に失言など存在しなくなる。
>私は東京五輪に本気で怒っているのです。
うん。ソチのオリンピック中継も本当にひどかった。朝のテレビでニュースを見ようと思っても見れないのだもの。とにかく一色。そして今のパラリンピックへのメディアの冷淡なこと。 何となく東日本大震災と、その後のフィリピンを襲ったタイフーンのときの報道を思い出す。このときもフィリピンに対して、この国は本当に冷淡だったと思う。報道の量が少ないとかそういうレベルではなくて、冷淡さを肌で感じた。そして違和感を持ちつつも、自分のその冷淡な一人なのだろうと考えた。 僕も3・11の直後はこれで日本は変わるかもと思ったけれど、この国の人たちの恒常心の強さを、自分は甘く見ていたと反省しています。そして経済(つまり少しでも良い生活をしたいとの願望)の強さ。こうした意識が日々強くなっているからこそ、国益という言葉にこれほど多くの人が群がるのだろうな。
広島は何の用事だろう。次のメールで教えてください。少し政治を離れたい。 ドキュメンタリー(表現)とやらせについて、次回は書きますね。
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