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web掲示板談話 斎藤美奈子・森達也 第二十七回 |
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件名 :イエスもムハンマドも怒っていると思う 投稿者:森達也 2014/07/03
斎藤美奈子 様
菊地さんから何度もメール。確かに、今書かないでいつ書くんだとの気持ちはよくわかる。 でも同時に、何をどう書いてももう何も変わらないとの思いもある。 美奈子さんは前回の返信で、集団的自衛権をご近所の防犯に喩えました。僕の周囲でもけっこう好評です。あるいは数日前のハフィントンポストでは、シアトル在住の中島聡さんが、日本とアメリカの関係をのび太とジャイアンになぞらえて、ジャイアンの無謀な命令に従わないときの口実として、憲法九条はとても有効に機能していたと書いています。
そんな米国が第二次世界大戦後に起こして来たさまざまな戦争において、日本人が血を流さないで済んで来たのは、憲法九条のおかげです。米国が、「イラクに行くぞ!」「アフガニスタンに行くぞ!」とかけ声をかけても、日本は「憲法九条があるから行けない」と断ることが出来たのです。 日本では、総会屋にお金を渡すことが法律で禁止されていますが、これはお金を渡すことそのものが悪いから禁止されているのではなく、会社側が総会屋からお金を請求された時に「違法だから渡せない」と言い訳が出来るように作られた法律なのです。 つまり、憲法九条は(のび太である)日本が(ジャイアンである)米国に向かって、「手伝いたい気持ちはやまやまなんだけれども、憲法九条があって手伝えないんだ」と断る、格好の「歯止め」の役割を果たして来たのです。 今回の閣議決定は、その「歯止め」を外すことになります。一度この「歯止め」を外せば、元に戻すことは出来ません。
これもまたわかりやすい。わかりやすいけれど、九条の意味が矮小化されていることも確か。十代や二十代の汚れを知らない青少年少女の感覚からすれば、あまりに姑息だと思われても仕方がない。まあ中島さんはそれを承知で、敢えてこのように書いたのだろうと思うけれど。 いずれにせよアナロジー。だって確かに集団的自衛権はわかりづらい。誰かに殴られそうになったら、誰だって腕などでこれを防ごうとする。つまり自衛。それは当たり前のこと。そこに権利がつくからややこしくなる。しかもここに個別的や集団的まで加わるのだから、現実的な感覚とはあまりに遊離する。
自衛の本能は否定できない。人が人であるかぎりは捨てられない。でも手段の制御はできる。つまり武器の制御。 武器を持つから自衛の手段がエスカレートする。過剰防衛にはまりやすい。僕は他紙でアメリカの銃社会を引き合いに使ったけれど、武器を持っているからこそ自衛が一方的な攻撃に転化してしまう。互いに正当防衛が肥大する。抑止力を高めるといえば聞こえはいいけれど、それは同時に緊張を高めることでもある。 自衛を理由にして戦争や虐殺は起こる。人類は何度もこれを経験してきたはずなのに、いまだに自衛の本能から解放されていない。不安や恐怖をねじ伏せることができない。 だからこそ日本は武器を放棄する。ここに憲法九条の価値がある。つまりお花畑でもないし空虚な理念でもない。人類の歴史に対して、九条はとてもラディカルなアンチテーゼだと僕は思っている。
でもそれももうすぐ変わる。仮に文章が変わらなくても、解釈が変われば意味も変わる。同じコーランを手にしながら、シーア派とスンニ派は殺し合う。多くのキリスト教徒は聖書のフレーズを唱えながら異端審問を行い、魔女裁判で多くの人を殺戮し、十字軍で異教徒を駆逐し、植民地政策の先兵役を買って出ていた。そもそもイラクの今の混迷状況を招いたブッシュだって敬虔な福音派の信者だ。イエスやムハンマドはずっと天空で、何でおまえたちはそんな解釈をするのだって地団太踏んでいると思う。
素朴な疑問がひとつ。現政権も国民も、アメリカをなぜこれほどに信頼できるのだろう。確かにロシアや中国は、特に今はいろいろきな臭い。でもアメリカだって歴史的には同じようなものだ。朝鮮戦争にベトナム戦争。ソマリアや湾岸戦争やイラク戦争。アメリカの判断と行動は、常に身勝手で自分本位だ。 いまのところ日本とアメリカの関係は、確かに悪くない。でもそれだって何の保証もない。今は民主党政権だけど、オバマの次に共和党政権になることだって充分にありうる。もしもブッシュのように深い思索のできない政治家が大統領の地位に就いたとき、集団的自衛権はどのように使われるのだろう。
……そろそろ暑気払いの季節ですね。たまには飲みましょうか。たぶん僕も美奈子も菊地さんも、顔を見合わせてはため息ばかりつく飲み会になると思うけれど。
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