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WEBマガジン 21/08/25


web掲示板談話 斎藤美奈子・森達也 第118回

件名:東京五輪と天皇制
投稿者:森 達也

美奈子さま

 まだ東京への招致が決まる前にトルコのイスタンブールも手を挙げていることを知って、イスラム圏としては初の開催になるトルコで開催すべきじゃないか、と思った記憶がある。つまり東京開催については消極的な反対。というか、自国開催にこれほどこだわる理由がわからない。だから東京に決定した瞬間に歓喜して号泣する人たちの映像をニュースで見ながら、不思議な気分になったことを思い出す。
 五輪そのものは決して嫌いではない。特に多くの国や民族や宗教が入り乱れる閉会式が大好きだ。アラブとパレスチナの選手がハグしている光景を見た記憶がある。北朝鮮と韓国の選手が手をつないでいる光景も覚えている。でもアトランタあたりから、閉会式の景色が変わってきた。ただし変わったのは閉会式そのものではなく、日本のテレビ画面に映る光景だ。外国人選手が圧倒的に減った。カメラが追いかけるのは話題の日本人選手ばかりだ。
 57年前の東京五輪。菅首相が国会でいきなり滔々と語り始めたアベベ選手やヘーシンク選手だけではなく、女子体操のチャスラフスカ選手など、多くの外国人選手が話題になった。でもならば今回の五輪で、これほどに注目される外国人選手はいるだろうか。あなたは名前を挙げることができるだろうか。明らかに日本人の関心の向きがドメスティックになっている。だからこそ開会式の薄っぺらさが際立った。歌舞伎や木遣りという伝統のステレオタイプにジェンダーや多様性などの言葉を貼りつけて、アニメやゲームのパウダーを振っただけ。寄せ集めだ。致命的に世界観がない。
 前半は柔道を中心に見た。実は中学高校時代は柔道部。こう見えて黒帯だ。ただし高校最後の地区大会は髪が長すぎるとの理由で試合に出してもらえなかった。耳が変形することが嫌で寝技の稽古はほとんどしない。そのレベルだ。でも試合の駆け引きや締め技の恐ろしさは知っている(本当に一瞬で落ちる)。日本人選手は絶好調。金メダルの数は断トツでぶっちぎり。アナウンサーも解説者も大喜び。でも僕は微妙だ。文字どおりのお家芸なのだから強いことは当たり前。もっといろんな国の選手の笑顔を観たい。
 今日は団体戦。僕は難民選手団を応援した。金メダルのフランスはもちろん銅メダルのドイツとイスラエルの選手たちも嬉しそう。ところが銀メダルの日本人選手たちはお通夜のよう。だから思う。メダルをとってもとれなくても、選手たちが胸を張れる国になってほしい。色とか数とか国とか名誉はどうでもよい。一人ひとりをアップで見る。その意味でテレビ観戦はよかったかも。もちろん、感染最多となった新型コロナについてのニュースをしっかりとチェックしながら。

 ここまでは、8月半ばに共同通信に寄稿した文章です。美奈子さんは前回「五輪騒ぎはもともと嫌いだったので」と書いているけれど、僕は(騒ぎはもちろん嫌だけど)ここに書いたように、閉会式と開会式は好きなんだよね。
 そして昨夜のパラリンピック開会式。ながら視聴ではあったけれど、とりあえず最後まで観ました。感想としては、オリンピック開会式よりは数倍良かったんじゃないかな。規模はぜんぜん小さかったけれど、コンセプトがとてもすっきりしてまとまっていたと思う。
 これについては、中村英正・運営統括が「五輪もパラリンピックもテーマは多様性。五輪は色々なものを出してそれを表現しようとしたが、パラは一つの背骨を作って式典を進めた(朝日新聞デジタル)」と説明したようだけど、まさしくそれに尽きる。
 つまりオリンピックは、江戸時代の火消しやピクトグラムのパントマイムや歌舞伎の断面的な挿入やジョン・レノンのイマジンや吉本の芸人のよくわからないコントなど雑多な要素を雑多に盛り込んで多様性を直接的に示そうとしたけれど(美奈子さんが指摘するように、アイヌの古式舞踊や沖縄の琉球舞踊かエイサー、在日コリアンのプンムルノリと中華街チームの獅子舞や龍舞を入れたほうが数倍良かった)、パラリンピックは最初から最後まで会場を空港に見立てる設定で、片翼の少女をメインに据えて他の要素はできるだけ抑制しながら多様性を暗示的に示そうとした。
 つまり直喩と暗喩。ならばどちらがより深く人々の心に刺さるのか、それは明らかだ。
 まあパラリンピックのほうも、「レディース・アンド・ジェントルメン」は相変わらずだったし、いきなりストーリーをぶっちぎって大会組織委員会の橋本聖子会長と国際パラリンピック委員会(IPC)のアンドリュー・パーソンズ会長がステージに上がってスピーチを始めたときは本当に白けたし(カットするという選択肢はないのかな)、いろいろ言いたいことはあるけれど、選手入場のトップバッターが難民選手団であることも含めて、オリンピックよりはぜんぜん良かった。
 ここで少し話はそれるけれど、昨夜の橋本会長の挨拶はどのように始まったかと言えば、「天皇陛下のご臨席を仰ぎ」で始まっている。これはオリンピックのときも同じだったはず。もちろんセレモニーの締めは、その天皇陛下のご挨拶。
 観ながらつくづく、やっぱりこの国は天皇制の国なんだ、と実感した。例えば現行憲法についてどんな文章で始まっているかと質問したら、おそらく多くの人は憲法前文の
「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために(以下略)」
を思い浮かべると思うけれど、実は前文の前にも置かれたパラグラフがあって、そのパラグラフは「朕」で始まっている。つまり天皇の自称代名詞。
 「朕は、日本国民の総意に基いて、新日本建設の礎が、定まるに至つたことを、深くよろこび、枢密顧問の諮詢及び帝国憲法第七十三条による帝国議会の議決を経た帝国憲法の改正を裁可し、ここにこれを公布せしめる。」
 要するに、昭和天皇の裁可が下りたからこの憲法は正式なものとしてお墨付きを与えられた、と現行憲法自身が宣言しているわけで、いろいろ複雑な思いになる。まあ憲法改正の手続きが、天皇を統治権を総攬する唯一の主権者と定めている明治憲法の下で行われたのだから、朕で始まることは論理的には当然と言えば当然なのだけど。その意味ではあまりに思慮とデリカシーと配慮と認識に欠けた発言で辞任した森喜朗大会組織委員会前会長が以前に言った「日本の国、まさに天皇を中心としている神の国であるぞということを国民の皆さんにしっかりと承知して戴く」は、ある意味で正鵠を射ているのだろうな。
 もちろん、こんな戯言と現状を追認する気はさらさらない。でもこの国がいまだに経済以外の分野で先進的な民主国家になれない重要な理由は、今の天皇制との折り合いにあるような気がする。もっと違う折り合い方があると思う。
 コロナと菅政権については、今回は書かない。何か書く気力がない。

森 達也

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