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WEBマガジン 21/12/27


web掲示板談話 斎藤美奈子・森達也 第122回

件名:今さらだけど加害責任
投稿者:森 達也

美奈子さま

>(アベノミクスが)良かったのは最初だけで、実行されたのは金融緩和まで。財政出動と成長戦略はウヤムヤにされ、企業だけを優遇し、結局は消費税も2度上げた。その結果、消費はもっと冷え込み、格差と貧困はもっと拡大した。トリクルダウンも起きず、インフレ率2%も達成できず、富裕層と企業を富ませただけだった。
 
そうだよなあ、と嘆息します。日本の実質賃金はこの25年間下がりっぱなしだし、2019年一人あたりの労働生産性はOECD加盟37ヵ国中26位で1970年以降最悪の順位であり、主要先進7ヵ国の労働生産性に限定すればこの半世紀、日本は常に最下位に位置している。さらに自己肯定感や子どもの幸福度、家族生活への満足度など様々な社会指標も、やっぱり圧倒的に低い。
経済には疎いけれど、この状況を客観的に俯瞰すれば、どう考えてもずいぶん前から日本は、少なくとも一等国の位置にはいなかった、ということは認めるべきだ。大英帝国やローマ帝国のように衰退した国は歴史にいくらでもあるけれど、この国がずっと国際的なリーダーシップをとれない理由は、戦後の歴史そのものに由来があるのだと思う。
今年2021年は真珠湾開戦から80年ということで、テレビや新聞でもドキュメンタリーや特集記事を相当数見かけた。戦争を記憶することが大切であることは大前提。でも違和感がある。だって1941年12月8日にいきなり戦争が始まったわけではない。時系列で過去にたどれば際限がないけれど、少なくとも1928年の張作霖爆殺事件や1931年の満州事変は、明らかに日本の戦争にとって大きな節目となる出来事だった。盧溝橋も含めて中国の資源確保を狙ったこれらの謀略的な軍事行動は、南京虐殺と日中全面戦争につながり、12月8日の対米英開戦を呼び込んだ。つまり、この国の破滅的な崩壊へ向かう起点となった。
でも張作霖が爆殺された6月4日や満州事変発生の9月18日について、日本のメディアはとても冷淡だ。特に満州事変発生は今年で90年なのに。
この1年間の朝日新聞を例に挙げれば、「戦後75年」の記事は約900件だけど、「満州事変」を含む記事は約60件しかない。圧倒的に違う。読売や産経なら、この差はもっと広がるのだろう。
メディアとはすなわち社会。ならばこの国が1941年以前の戦争の歴史を積極的に見つめない理由は、それが(自分たちの加害を見つめなくてはならない)日中戦争だからだと思う。
数年前にドイツに行ってベルリン自由大学の学生たちとディスカッションしたとき、ドイツ人にとって戦争のメモリアルデーは33年1月30日と45年1月27日だと教えられた。つまりヒトラー内閣成立の日とユダヤ人強制収容所アウシュヴィッツ解放の日。
日本の戦争のメモリアルデーは、広島・長崎に原爆が落とされた1945年8月6日と9日、そして玉音放送が流れた8月15日。つまり起点は「終戦」と「自分たちの被害」。でもドイツの起点は、ナチスを支持した自分たちの「過ちの始まり」と「自分たちの加害」。
戦後の在り方としてドイツを全面的に称揚するつもりはないけれど、この違いはとてつもなく大きい。
教えている大学で学生たちに、日本はどこの国に敗けたのか、と質問すれば、十人中八人はアメリカと答えると思う。あとは連合国。そこに中国がいたと答える学生はとても少ない。学生だけではない。この国全般も同様だ。
日本は中国に侵略を仕掛けて敗けた。この歴史的事実の認識がとても希薄になっている。だって加害と向き合うことになるから。明治時代のスローガン「脱亜入欧」が示すように、アジア、特に中国や朝鮮に対する根拠のない蔑視感情も、この要素のひとつだろう。上から目線。しかも戦争で負けたけれど、一時は経済でアジアの覇者となった。
自民党守旧派のノスタルジーが端的に示すように、加害責任を曖昧にしながら日本は経済大国となった。蔑視感情は消えない。足を踏んだ直後はごめんなさいと言ったかもしれないけれど、今は足を踏んだことを覚えている人は少ないし、最近は足など踏んでいないとかいつまで謝り続ければいいのか、みたいなことを言う人が増えてきた。だからいまだに日本は、中国や韓国、もちろん北朝鮮との関係を良好にできない。
国にとって大切な要素はメディアと教育。それを今さらだけど、つくづく実感しています。

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