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web掲示板談話 斎藤美奈子・森達也 第124回 |
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件名:そしてテレビは“戦争”をあおった 投稿者:森 達也
美奈子さま
ようやくオリンピックが終わったのでロシアとウクライナの問題について書きたいのだけど、事態は日々動いていて、なかなかタイミングがつかめない。 美奈子さんが観ているかどうかわからないけれど、4年前に放送されたNHKスペシャル「そしてテレビは"戦争"をあおった〜ロシアvsウクライナ2年の記録〜」を、このタイミングでNHKは再放送してくれないかなと思っている。NHKオンデマンドでも検索することができない。仕方がないので、NHKウェブサイトに掲載されている紹介文を以下に貼りつけます。
------------------------------------------------------ ウクライナ東部での戦闘開始から2年。今もウクライナ政府軍と親ロシア派の散発的な戦闘は続き、市民を含む犠牲者はすでに9000人を超えている。民族的にも文化的にも近い兄弟国家がなぜいがみ合うことになったのか。その責任の一端を担ったのは、ほかでもないテレビだった。 15年にわたってプーチン政権の強い統制下に置かれたロシアのテレビ各局は、隣国の"内戦"に対して、政権の意向に沿った報道を一斉に展開。欧米からの"プロパガンダだ"との批判も意に介さず、連日ウクライナを非難する報道を繰り広げた。一方のウクライナでは、ロシアによる一方的なクリミア編入を機に、社会は反ロシア、愛国主義一色に染まっていく。"ロシア寄り"とされるメディアへの襲撃事件も相次ぐ中で、大手テレビ局の記者たちも率先して"愛国"報道を繰り広げてきた。軍と一体となり前線からリポートを送り続けたのだ。 双方の非難合戦にさらに拍車をかけたのは、インターネットだった。戦闘が始まると、ネット上には無数の残酷な映像が溢れかえった。その場に偶然居合わせた市民が撮影した映像がネット上に拡散。それをテレビ局が自国に都合良く使った。ネット上に市民が何気なく投稿した一枚の写真が、使われ方次第では、世論を大きく動かすほどの影響力を持つ時代となった。 国家が戦争状態になると、メディアはどう変質し、メディアにいったい何が起きるのか。情報はどのように国民に伝わり、どんな影響を及ぼすのか。ロシアとウクライナのテレビ局に密着し、現代の"戦争"におけるメディアの持つ危うさ、その課題に迫る。 ------------------------------------------------------
念のために補足するけれど、これは今ではなく、4年前の記録です。そして以下は、この作品を担当した田中雄一ディレクターのコメント。
------------------------------------------------------ 2012年9月、民主党・野田政権による尖閣諸島の国有化。中国の猛烈な反発を招き、尖閣諸島の周辺海域では海上保安庁の巡視船と中国の公船が連日にらみ合った。中国側が火器管制レーダーを日本の巡視船に照射するなど、緊張は極度に高まった。 歴史に「もし」はないが、あのときひとりでも犠牲者が出ていたらNHKはどうなっていたのだろう。当時、地方から報道局にあがって2年目の私は連日ニュースセンターで勤務にあたっていた。怒号が飛び交い緊迫する職場の中で、右から左へ命じられるがままにニュースを作っていたことを記憶している。それが社会に何をもたらすのか考えるゆとりもなく…。 得意とするロシア語を生かし制作した今回の番組。日本からは遠く離れたウクライナ紛争をテーマにしながらも、その問題意識はいつも日本にあった。いったん戦争状態となると社会やメディアはどう変わるのか。テレビは人々の憎しみを煽り、再び悲惨な戦争を繰り返すことに力を貸してしまうのか。それとも、何が問題かを冷静に分析し伝え、緊張の糸を解きほぐすことに寄与できるのか。 地味で難しいテーマ。でも、世界が激動する今だからこそ、しっかりと考えたいと思い、取材、制作した。当然、メディアで働く自分自身への戒めでもある。 ------------------------------------------------------
僕は4年前にこの作品を観た。視点はあくまでもロシアとウクライナそれぞれの国のメディアの変化。そして記者やカメラマンたちの苦悩(ただし、悩んでいない人もたくさんいる)。 特にテレビなどマスメディアで顕著だけど、ロシアのメディアはウクライナを、そしてウクライナのメディアはロシアを、いかに危険で悪辣で不正であるかを強調しながら必死に煽っていた。その意味ではどっちもどっちだけど、ロシアのほうが過剰だったと思う。 テレビを見た国民は、当然ながら相手国を絶対に許せないなどと高揚する。自分たちの命と国を守るんだと決意する。お互いに同じことを言っている。そこにネットが更なる燃料を投下する。フリーのジャーナリストがウクライナで爆撃されたビルに潜入して撮ってネットにあげた多くの焼死体の映像を、ウクライナは親ロシア勢に殺害されたとニュースで流し、そしてロシアはウクライナの軍に殺害されたロシア系住民だとニュースで主張する(真相はおそらくだけどウクライナ側が正しい)。 今に始まったことではない。ベトナム戦争やイラク戦争でもアメリカは偽りの大義を国民に提示して戦争を正当化しようとしたし、大日本帝国時代のこの国も、偽りの大義を謀略で作り上げて中国への侵攻を開始した。 国家のこうした企みを暴くのではなく、むしろ糊塗して後押しするマスメディア。ロシアとウクライナの現状を見るかぎり、その状況は今も変わっていない。 これだけ兵器は進化して、地球を何十回も破壊するほどの核兵器を持ちながら、戦争の本質は変わっていない。国境付近に集結したロシア軍の戦車や演習の様子をテレビのニュースで見ながら、かつての戦争なら、開戦前のこんな光景を観ることなどありえなかったと考える。これほどに情報化社会は進展した。 でも自国民の命や領土を守るためと偽りの大義を提示して戦争を起こす大国の論理は、昔も今も一ミリも変わっていない。
でも希望もある。「そしてテレビは"戦争"をあおった」で田中ディレクターは、大手メディアをやめて自分たちで取材した(バイアスのない公正な)事実を国民に伝える試みに取り組むロシアのジャーナリストたちを、番組の最後に取り上げていた。ネットがない時代なら、こうしたメディアのありかたはありえなかった。 キューバ危機の時期、僕たちは幼稚園の時代だった。まったく覚えていないけれど、でももしかしたら世界はとんでもないことになるとの今のこの胸騒ぎは、きっと当時の大人たちが抱いた感覚とあまり変わっていないのだろうな。 人は進化しない。今はこれをつくづく実感しています。
森達也
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